2月24日(火) 礼拝で、宮田 夏実さんからメッセージをいただきました。
宮田さんは、啓明学院高等学校を2016年に卒業されました。
昨年行われた東京2025デフリンピック、女子サッカーの銀メダリストです。デフリンピックは国際的な「きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック」で、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催し、4年毎に開催されるデフアスリートを対象とした国際スポーツ大会です。
本日の奨励では、聴覚障害や、ともに生きることについて、お話しくださいました。

みなさん、こんにちは。宮田夏実です。
私は耳が聞こえないので、私の発音が聞き取りにくいところもあると思いますが、ぜひ一生懸命聞いていただけると嬉しいです。
私は、2016年に啓明学院高校を卒業し、関西学院大学商学部に進学しました。高校時代は内海先生が学年主任でした。今はありませんが、女子サッカー部に入っていました。
このような場で皆さんにお話しする機会をいただけること、本当にありがたく思っています。飾ることなくありのまま、私自身の聴覚障害を中心にお話させていただこうと思います。
皆さんは啓明学院を卒業したあと、この先もたくさんの人たちと出会っていくと思います。考え方や価値観、生き方なども全く異なった様々な人間がいます。その中の一人として、私の話を通してこういう人がいるんだな、こういう世界があるんだなと、何か少しでも感じ取ってもらえたらうれしいです。
まず、私のこれまでについて簡単にお話させていただきます。
私は聞こえる両親もとに生まれましたが、生まれつき耳が聞こえません。
関西学院大学を卒業した後は、神戸にある医療機器メーカーのシスメックスで働いていました。働きながらデフサッカー(耳が聞こえない人達がするサッカー)を続けてきました。仕事との両立が厳しくなり、より良い環境を求めてマツキヨココカラという会社に4年前、転職しました。アスリート雇用です。
去年の11月に東京で行われたデフリンピックに、デフサッカー日本代表として出場しました。デフサッカー女子チームとして史上初となる銀メダルを獲得することができました。
ちなみに皆さん、このデフリンピックをご存じですか?知っている方手を挙げてくださるとうれしいです。デフリンピックは聴覚障害者のオリンピックです。障害者のオリンピックであるパラリンピックには聴覚障害は含まれていないのです。私がデフサッカーを始めた15年前は、デフリンピックはほとんど知られていませんでした。しかし今回、日本で開催されたことで、認知度は大きく高まりました。とはいえ、まだまだ知らない方が多いと思いますので、この機会にデフリンピックやデフサッカーのことを覚えていただけたら嬉しいです。
前置きが長くなってしまいましたが、たくさんの素敵な人達との出会いによって導かれて、今の私があり、この東京デフリンピックという素晴らしい舞台に立つことができました。好奇心を持ってチャレンジすることで、見える景色や世界が広がっていくことを教わりました。
ここに至るまで、私は、特に学生時代は自分のことをなかなか好きになれませんでした。なんで自分だけ耳が聞こえないんだろう、と聞こえない自分を受け入れることができませんでした。
障害者と聞いて、ほとんどの人がネガティブなイメージの「弱者(社会的に立場の弱い人たち)「かわいそう」「大変そう」「辛そう」あるいは、「個性」を思い浮かべるのではないかなと思います。
正直に言うと、障害はない方が生きやすいです。また、障害は個性だ、と最近よく聞きますが、私はそうは思いません。個性という言葉で美化してほしくないなと思います。障害は個性ではなく、障害は障害でしかない。紛れもない事実です。だからといって障害を持っているから不幸ではなく、不便なだけです。
自分自身のことを不幸だと思ったことはありませんが、周りの反応によって「社会に障害」をもたされる感覚を知りました。
それは、小学生の頃から、
・聞こえなくてかわいそうだねと言われる。
・補聴器をつけているだけで、手話を使っているだけで、街中でジロジロ見られる。
・発音を真似される。
そんな経験をたくさんしてきたからです。
私は耳が聞こえないだけで、走れるし、運動もできる、学ぶことができる、できることだっていっぱいあるのに、「聴覚障害者」として見られることに対して、次第に聴覚障害はコンプレックスになっていきました。
障害は、誰にとっても遠い世界の話ではありません。交通事故や病気で、誰もが障害者、マイノリティー、になる可能性があります。また場所が変われば立場は簡単に入れ替わります。例えば海外に行けば言葉が通じない自分がマイノリティーになります。これは障害の有無を問わず、誰もが経験することだと思います。
そんな中、社会に出てから私の価値観を大きく揺さぶる出会いがありました。
それはデフファミリーで育った人たちとの出会いです。家族みんなが聞こえない環境で育った彼らにとって、聞こえないことは特別ではなく、当たり前でした。皆さんはなぜ自分は耳が聞こえるのだろうと考えたことがありますか?ないですよね。それと同じように彼らも耳が聞こえないことが当たり前なので、そのこと自体考えたことがないのです。
同じ聴覚障害者でも障害に対する捉え方が違うのだ、と衝撃を受けました。その価値観に触れて、障害の見方は一つではないのだと気づき、私の心は少し軽くなりました。

そんな私にとって、啓明学院への進学も大きな転機でした。
高校に入ったばかりの私に、部活の仲間や同級生は耳が聞こえないことを気にせず、積極的に話しかけてくれました。最初は「えっ、こんなに話しかけてくるの?」ってびっくりしました。それまでの私は、聞こえる人と深く関わることをどこかで避けていました。だからこそ、啓明生の積極的な姿勢に、正直とても戸惑いました。
でも今振り返ると、みんなも勇気を持って私に声をかけてくれていたのだと思います。
そこが好奇心とチャレンジ精神に溢れる啓明生の良いところですよね。あの時の私は障害を持っていることに対して劣等感を持っていたので、なかなか心を開くことが難しかったのかなと感じます。向こうから歩み寄ってくれていることに対して、それを受け止めて自分からも歩み寄っていくことも大事なんじゃないかなと学びました。
啓明学院に入学する前は、誰かにサポートしてもらうこと、通訳をしてもらうことに対して申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。ですが、啓明学院には、周りが当たり前のように手を差し伸べてくれる環境がありました。障害を持っているから「特別に助けなきゃ」というわけでもなく、障害に関係なく「誰であっても困っていたら助けるよ」というスタンスに、私は救われていたことも確かです。
通訳など必要な配慮はしてくださるのですが、それ以外の特別扱いはなく、私も同級生を助けられる部分があれば助けるし、できないところがあったら助けてもらう、そういった対等な関係性が素晴らしいなと思いました。それでも、私は助けてもらう立場になることの方が多かったと思います。
そして何よりも、友達や先生方が「聴覚障害者」というフィルターを通して接するのではなく、最終的には、「一人の人間、宮田夏実」として見てくれ、フレンドリーに接してくれたのが嬉しかったです。
啓明学院はとても恵まれた環境であったけれど、その一方で、友達との会話についていけない、耳が聞こえないマイノリティーとしての孤独感や生きづらさはありました。このモヤモヤとした気持ちは、今でも完全に消えたわけではありません。
誰が悪いわけではなく、この気持ちに向き合えず蓋をしてきました。でも今は少しずつ向き合えるようになりました。聞こえないことによる限界は正直あります。それでもたくさんの経験を重ねて、今の方が選択肢も増え、自由で圧倒的に楽しいと感じています。良いことも、しんどいことも含めて、これが私なのだと思えるようになりました。
私には、いつも大切にしていることがあります。「コントロールできないことに目を向けるのではなく、自分自身がコントロールできることに目を向ける」ことです。
私は、強い人間ではないので、何か壁にぶつかったりするといつも落ち込むし、クヨクヨします。そんな時は、この言葉を思い出すようにしています。聞こえないことは変えられないけれど、どう向き合うのかは自分で選べます。コントロールできないことに目を向けて嘆くか、より良い未来に向かってチャレンジして努力をするか、このどちらかです。私はいつまでも後者でありたい。自分にできる目の前のことを精一杯コツコツと積み重ねていくことで道は切り開かれていくと思います。それ以外に道は無いと思います。
たとえ目標が達成できなくても、自分でチャレンジして努力した経験や、嬉しい、しんどい、悔しい、そういったすべてを積み重ねた先にしか見られない景色があると思います。そのプロセスは、確実に自分自身の大きな力になります。そうして身につけた力は、どんな時でも自分を支えてくれる武器となるはずです。
最後に 聖書の言葉「隣人を愛しなさい」について、ふれておきます。
自分と違うから距離を取るのではなく、「この人はどんな人なんだろう」「何が好きなんだろう」と興味を持って関わることが大切だと思います。でも実際に全ての人を愛することは難しいですよね。強い言葉になってしまいますが、「共感」する必要はないと思っています。ただ、「理解する努力をする」をすることが、より良い社会を創ることに繋がります。そして、自分自身が社会で生きやすくなる一つの術になるのではないかなと思います。
啓明学院には、そんな「理解しようとする姿勢」が自然と溢れていました。自分自身を受けとめてくれる仲間、先生方に恵まれた環境だったからこそ、聞こえないことを理由に諦めることなく、私は自分のチャレンジを信じることができました。それが今に繋がっています。
皆さんのその豊かな感性を大切に、決して当たり前ではない、頑張れば報われるこの恵まれた環境を、そして自分の能力を最大限に活用して、まずは身近な人のためにその力を使ってほしいと思います。
私自身は、デフサッカーを通して、耳の聞こえない子ども達が「自分ならできる!」と、自分のチャレンジを信じられる未来を作っていきたいです。
お互い頑張りましょう。
つたない話を聞いていただき、ありがとうございました。
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