昨日は「母の日」でした。入院中の母を見舞うと、彼女はいつも「あなたの時間は貴重だから、もう帰りなさい」と私を促します。しかし私にとって、母と向き合い言葉を交わすひとときは、何物にも代えがたい「命の時間」です。効率や損得という尺度を超えた、存在そのものを肯定し合う時間の在り方を、私は母の姿から再確認しています。
翻って、皆さんは今、限られた高校生活という時間を何に注いでいるでしょうか。
勉強や部活動に加え、思春期の「恋」に心を揺らすこともあるでしょう。誰かを想い、葛藤する時間は、一見非効率に見えても決して無駄ではありません。相手の心の痛みに想像力を働かせ、自己の未熟さと向き合う経験こそが、人間としての「共感力」を養い、内面を豊かに耕してくれるからです。
しかし、その貴重な精神的リソースが、今、「アテンション・エコノミー(関心の経済)」という巨大なシステムに侵食されている事実に自覚的でなければなりません。SNSや動画サイトは、脳科学的に皆さんの「関心」を奪い、依存させるよう巧妙に設計されています。無意識に画面をスクロールする時、私たちは自らの意志で時間を使っているのでしょうか。それとも、アルゴリズムに「使わされている」のでしょうか。
>>>後編に続く
2026年5月11日
高校の礼拝でのメッセージより
指宿 力

