KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

必ず希望の朝はやってくる、誰かの力になる存在であれ

2022年2月10日

礼拝でのメッセージ

 

先日、この春に甲子園球場で行われる高校野球選抜大会の出場チームが発表されましたが、東海大会で準優勝した聖隷クリストファー高校が選ばれなかったことが大きな話題になっています。昨年の東海大会では優勝が日大三島、準優勝が聖隷クリストファー、どちらも静岡県の学校ですが、当然、東海地区からはこの二校が選ばれるだろう、と考えられていました。しかし発表されたのは、優勝した日大三島とベスト4だった岐阜県の大垣日大だったのです。選考委員会は「個人の力量に勝る大垣日大か、粘り強さの聖隷クリストファーかで賛否が分かれたが、投打に勝る大垣日大を推薦校する」と発表しています。準優勝したのに選ばれなかった聖隷クリストファー高校の悔しさを思うと、胸がとても痛くなります。

 

ところで、皆さんはこの「聖隷クリストファー」という学校の名前を、これまで聞いたことはあったでしょうか。この学校も私たちと同じ、プロテスタントのキリスト教主義学校ですが、ちょっと変わった学校名ですね。

「聖隷」には、聖なる神様に従う、という意味があり、「クリストファー」は、半ば伝説になった殉教者の名前で、「キリストを運ぶ者」の意味があるそうです。このような校名を持つ「聖隷クリストファー」は、こども園や小学校、中学校、高校、大学、専門学校、そして病院や社会福祉施設までも持つ、静岡県浜松市を代表する大きな法人組織です。

 

この学校には私の親しい後輩が働いています。数年前に訪問させてもらったときには、総合学園ならではの充実した施設を案内してもらい、いろいろとうらやましく思ったものです。その彼に、選抜の結果が出た後、「残念だったね」とメッセージを送ったところ、すぐに「発表まで疑いもしていなかった。大人でも納得しがたい理由を高校生が受け止めなければならないのはキツいです。天国から地獄です~」と涙ながらの返信が来ました。

 

実は聖隷クリストファーは2020年、夏の県大会で優勝したのですが、全国大会が中止となり、甲子園に出場できなかった経緯があります。このときは、コロナの影響で直前に中止となった春の選抜に出場が決まっていた学校が、夏に1試合だけ行うという変則的な開催となったからです。なおのこと、今回の件も本当に受け入れがたい結果でしょう。

さて、皆さん。皆さんなら聖隷クリストファー高校の選手達にどんな言葉をかけてあげることができるでしょうか。

 

野球をしている人たちならば、甲子園球場で野球をすることは、他のどんなことよりも意味のある、一番の目標です。その夢がかなうことに何の疑いもなく、ウキウキしながら発表の日を待っていたに違いありません。そこに天国から地獄の仕打ちです。そんな失意の中にある人たちに、皆さんならどんな言葉をかけてあげますか。本当のところはそうなってみないと分からないものの、しばらくは言葉で慰められても気持ちが晴れないことは想像できます。

 

旧約聖書には、人間がもともと持っている罪深い本質や、人生を襲う様々な出来事に苦悩する様子が描かれていますが、選ばれたり、選ばれなかったりすることも大きなテーマの一つです。

今日読んだカインとアベルの物語は、神様に捧げ物をした兄弟のお話ですが、弟アベルの献げた、肥えた羊の初子を神様は目を留められ、兄カインの献げた、土の実りには目を留められませんでした。そして選ばれなかったカインは怒りに満たされ、弟を殺してしまいます。神様はカインが激しく怒って顔も上げられないときに「正しいのなら顔を上げられるはずだ、正しくなかったのなら罪がそこまで来ている、お前はそれを支配せねばならない」と言いました。

「お前はそれを支配せねばならない」とはどういうことでしょうか。それはその怒る感情を支配する、つまり自分で自分を押さえ、自分の感情をしっかりと自分でコントロールさせなさい、ということと思って良いでしょう。

 

この物語の肝は、神様の選びはけっして公平でない、というところにあります。カインもアベルも一生懸命、丁寧に育て上げたものを献げたのですから、神様はどちらも平等に扱えばよかったはずです。しかしアベルは選ばれ、カインは選ばれなかったというストーリーを、あえて聖書は私たちに突きつけます。「神様はけっして公平な選びをされるのではないよ」と言ってくるのです。ここだけ読むと神様に対する不信が頭をもたげてきます。

 

しかし私たちの住む現実はどうでしょうか。今回の高校野球の一件だけでなく、いろいろなところに不公平や不平等が横たわっているはずです。そのような現実に出会うたびに、感情のまま、怒りにまかせて人殺しをするわけにはいきません。聖書のお話は、そういう意味では非常に現実的です。言われるまでもなく、私たちはその感情をコントロールしなければならないことを知っているからです。

それでも、悔しかったり、悲しかったりする、その思いを押さえることは難しいことです。そのようなときに、私たちには寄り添い、思いを共有してくれる人を必要とするのではないでしょうか。

 

昨年末のM1グランプリで優勝した「錦鯉」というコンビがいます。彼らは苦労人で、長谷川さんは50歳、渡辺さんは43歳。お互い独身で、最近までアルバイトをしながら、芸人としての成功を夢見ていました。年末には、彼らの優勝までの様子をまとめたドキュメンタリーが放映されたので、観た人もいるのではないでしょうか。

その番組の最後、優勝を決めた喜びのシーンのバックに流れていた曲に心をつかまれました。探してみると、それは折坂悠太さんという方の「鶫」(つぐみ)という曲でした。

 

つぐみは、毎年10月頃、日本にやってきて、暖かくなる3月頃に北に帰っていく渡り鳥です。この曲は、渡り鳥であるつぐみが春に旅立つことを背景に置いて書かれています。冬の時代をグッと辛抱して過ごし、ようやく希望をつかむ様子を、夜が明けると表現する、そんな歌詞に共感を覚えました。それは長い下積み生活がようやく報われた「錦鯉」にぴったりでもありました。皆さんにも聴いてもらいましょう。

 

~~「鶫」(作詞/作曲 折原悠太 2021)~~

 

寒い冬の、分厚い雪雲を突き抜けた先にある、日の光差す場所に向かう様子を表す、ほらね 夜が明ける、という歌詞に希望を見いだします。そして後半の、あなたに知らせたい、共にいると、という歌詞は、あなたは一人でないよ、というあたたかいメッセージです。

 

私たち、啓明学院の「啓明」は、夜明け前に輝く金星のことですが、それは朝の訪れを、太陽より先に東の空からつげ知らせる、希望の象徴でもあります。だからこそ、この啓明学院につらなる私たちも、辛さや悲しみの内にあって、もはや暗闇の中にたたき込まれたとしか思えない人たちにとって、共にいて、それでも希望を捨てずにいよう、と伝え続ける存在でありたいと願います。私たちはどのようなときにも神様が共にいてくださることを知っています。それは本当に大きな、大きな力づけです。

 

今も聖隷クリストファーの先生達は、きっと部員の悔しい思いを共有しながら、一人一人が顔を上げて希望の朝に目と心を向けることを願って、共に祈り、寄り添っておられることでしょう。

主将の弓達寛之(ゆだて ひろゆき)さんがインタビューで、「何をどう言おうと、結果は変わらないので、この悔しさをうまく使って、今年の夏、しっかり一番を取れるように必死に練習したい」と言っていました。内に秘めた思いはあると思いますが、主将らしい頼もしい言葉です。私も後輩に「夏、この思いをぶつけて頑張ってね、待ってるよ」とメッセージを送っています。

 

神様の力づけを祈りつつ、思いを共感すること。そして共にいて、希望の朝に目と心を向けること。そしてその思いを伝えること。失意の中にいる人たちにできることは限られているかもしれませんが、そんな思いが悔しさの中にいる人たちに届いたらな、と思っています。

高校野球の選抜制度については、今後しっかりと吟味されることを期待しますが、選ばれた大垣日大よ、甲子園で頑張れ、聖隷クリストファーよ、夏に向けて頑張れ、と心より願います。この悔しさにもきっと意味があるはずです。

 

もちろん、啓明学院の皆も、頑張ってほしいと願っています。今日一日も命の炎を燃やしてほしい。一人一人を神様が愛されており、必ず希望の朝はやってくることを心に刻んでほしいのです。そしてこれを聴く皆さん一人一人も、また誰かの力になる存在であることを忘れてはいけません。誰かの思いに触れたとき、その思いを共有し、寄り添える私たちでありたいものです。

 

 

指宿 力