KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

友のために命を捨てること、これ以上の大きな愛はない

2022年3月19日

3学期終業式のメッセージ

 

先日の東北地方を中心とした大きな地震では、皆さんの家族などの中にも怖い思いをされた方がいると思います。被害も報じられていますし、余震もあるようです。一日も早い、安心の日々と回復をお祈りしましょう。

 

また、コロナ禍の最中ではありますが、タイからの留学生として高校1年生と共に学んだサンシャイン君が3月11日、皆さんにお別れし、帰国しました。この出会いに感謝したいと思います。

彼は学院生活最後の日、クラスメイトの名前を一人一人、何も見ずに呼んでくれたそうです。ずいぶん準備したと思いますが、とてもよい話だな、と思いました。彼の感謝の気持ちも伝わり、本当にありがたいですね。今後ともよい繋がりを持ってください。

 

さて、先日のことです。

私の不在時に、お礼をしたいと菓子折を持って、学校にお越しになったご夫婦がいらっしゃいました。事情を伺うと、なんと本校の先生に娘さんが助けてもらったとのことでした。後日、その先生に確認すると、それは次のような出来事があったそうです。

 

ある日の午後、その先生が帰宅途中、妙法寺駅で電車を待っていました。すると突然、同じホームにいた女性が線路上に身を投げたのです。間もなくホームに電車がやってくるタイミングです。先生はすぐに近くにあったモニターに向かって異常を知らせ、他の方々と協力して駅に入ってくる途中だった列車を止めたのです。電車は、なんと、その女性の1㍍ほど手前で止まったそうです。先生は線路に降り、他の方と共にホームに引き上げたとのことでした。間一髪の出来事で、助かって本当によかったと思います。詳しい背景は分かりませんが、ご両親としては、しっかりお礼をしたかったのですね。

 

私は先生やその女性が無事だったことに安堵するとともに、その先生や周りの方々の機転のきいた対応に感服しました。そして、その報告を聞いた後、2001年におこった悲しい事故を思い出していました。

 

時々、私は東京に行くことがあるのですが、山手線の「新大久保」という駅を利用することがあります。一時、新大久保駅には、啓明学院も所属する日本基督教団の事務局があり、そこで行われる会議に出席するために通っていたからです。そこはプラットホームが一つしかない小さな駅です。韓流スターグッズのお店や多様な外国文化があるので、それを目当てに通う人たちもたくさんいる、エネルギッシュな町の玄関口です。その新大久保駅では、2001年1月26日金曜日の19時すぎに悲しい出来事が起こりました。1月の19時ですから、もうすでに日は暮れ、空も暗くなった頃でしょう。

そんな時間帯に、お酒に酔った男性が、プラットホームから線路に転落してしまったのです。すでに電車は駅に接近していました。その男性を救助しようとして、二人の方(一人は日本人カメラマンで、もう一人は韓国からの留学生でした)が、とっさに線路に飛び降りて、男性を引き上げようとされました。しかし、その救助は間に合わず、ホームに入ってきた列車にはねられ、3人とも亡くなったのです。

 

この出来事は大きく報道されましたが、その後、日本の鉄道事情を変える推進力ともなりました。これ以降、全国の鉄道事業者は、駅のホームに非常停止ボタンを設置することと、プラットホームの下に退避スペースを確保することの二つの対策を講ずるように指導され、その結果、列車非常停止ボタンが全国の駅に設置されました。

新大久保駅には、事故のあった年すぐに、転落者が逃げ込めるようホーム下に避難スペースが設けられました。この辺りでも、今週、阪神三宮駅に転落防止柵が設置されています。ホームドアなども確実に増え続けているのは、皆さん承知の通りです。

 

この事故で、他人を助けようとして命を失ったのは、26歳の韓国からの留学生、イ・スヒョンさんと、47歳のカメラマン、関根史郎さんのお二人でした。この二人の、自分の危険を顧みず、目の前の命を救うために身を投げ出す行為は、鉄道の安全を推進したとともに、多くの人の心を打つものでありました。

現在、新大久保駅には、お二人の崇高な精神と勇敢な行動をたたえた記念のプレートが飾られています。私も行くたびにそれを読み返し、黙祷し、その行動を心に留めることを続けています。

勇敢な行動かもしれないけれど、誰も救えずに、自らの命も落としてしまった。その結果を知る、我々の中には、好き勝手にいろいろなことを思う人がいるかもしれません。しかしその後、今の私たちの日々の安全を守る社会の仕組みが整いつつあることを前に、何もしない者があれこれ言うことはできませんね。

 

聖書には、「友のために命を捨てること、これ以上の大きな愛はない」と記されています。新大久保の出来事は、友どころか、全く知らない赤の他人のために命を捨てたのです。それでもあの時、お二人は、目の前の事態に何とか自分の力を尽くそうとされました。その生き方に、心をぎゅっと強く握られるように思うのは、私だけではないでしょう。

 

韓国人留学生のお父さんは、弔慰金などを元手にLSHアジア奨学会を設立して、日本に留学する若者を支援してきました。韓国人だけでなく、アジア各国の人たちまで支援し、すでに800名以上がその恩恵に預かっているそうです。彼らの命のともしびは、今も人々の歩みを照らしているのです。

私は新大久保駅のプレートの前に立つと、「あなたは、いかに生きるのか」という非常に難しい問いを突きつけられるように思うのですが、皆さん自身はこのエピソードを聞き、何を思うでしょうか。

 

イエス様は、聖書の先ほどの箇所の後で、「私はあなたがたを友と呼ぶ」とも言われました。そのイエス様が、自分の罪ではなく、世の罪のために十字架に付けられたことを私たちは知っています。イエス様の十字架の出来事は、まさに友のために命を捨てることであった、ということです。そこは、友である私のために十字架に付けられた、と言い換えてもよいところです。なぜなら、イエス様の十字架の出来事は、私たちが自らの罪を凝視するところからでしか見えないものだからであり、イエス様は友である私のためにもその苦しみを担ってくださったというところからしか、復活の出来事は理解することができないからです。

 

私たちにとってイエス様と同じことをすることは適いません。それは救い主メシアのミッションだからです。私たちにとって、命は時間とも言えます。限りある命を生きる限り、時間は命そのものだからです。その命である時間を、自分だけのためではなく、他者のため、社会のため、平和のために用いることは、私たちがイエス様にならう生き方であると言ってよいのではないでしょうか。

 

今、ウクライナにおける激しい戦闘や、国を出ざるをえない人たちのニュースが続き、日々ひどい被害状況が伝えられています。すでにその影響は私たちの暮らしにも出始めています。平和を願う思いも、いっそう強いものとなっています。

 

先日来、校長室前のボードに、皆さんのメッセージを書くスペースを設けています。すでに多くの生徒、先生方が思いを寄せてくれています。ありがとう。もうしばらく設置するつもりですので、まだ書いていない人は、ぜひ思いを書きに来てくださいね。そして、みんなのメッセージも読んでください。

平和のメッセージを書く行為には、自分の時間を平和のために注ぐという意味もあると私は考えています。

お祈りをして、各自が自分のできる範囲で、行動を始めたいものです。

今日、読んでもらった聖書の箇所は、今年度、何度も読まれた年間テーマ聖句でした。もう覚えてしまった人もいると思います。

「あなたの手にその力があるなら、出直してくれ、明日あげようと友に言うな。あなたが今持っているなら、持っている命そのものである時間を、力を、お金を、能力を、あなたの助けを必要としているところに注ぎなさい」と私たちに迫ってくる言葉です。多くのものを持ち、能力を持っている皆さんは、友のために何を注ぐことができるでしょうか。

 

もちろん、まだ若くて、力や能力がまだまだ足りない、と思う人もいるでしょう。それをもっと大きくすることも大事なことです。むしろ啓明の学びは、まさにそのためにあると言ってよいでしょう。

 

なぜならスクールモットーがこう言っているからです。

「手と心は神と人に仕えるために鍛えられる。」

 

「友のために命を捨てること、これ以上の大きな愛はない。」友とは、知り合いやクラスメイトを指すだけではなく、私たちの助けを必要とする、すべての人のことでしょう。そのために、自らの時間を、力を、お金を、能力を、注げる我々でありたいと願います。

 

そして、それをもっと確かで豊かなものとする、学びと成長が、皆さんには期待されているのです。それが、啓明学院が目指す、世界の平和の一歩であると言ってよいでしょう。

皆さんには、本当に豊かな賜物があり、一人一人深い愛を心の内に携えているのですから、明日に先延ばしすることなく、今、それを活かす人であってほしいと願います。それは、神様からのミッション、使命であることを忘れないでください。

 

さて、最初に紹介した妙法寺駅で女性を助けた先生ですが、そのお名前を紹介することはできません。それは、その先生との約束だからです。その先生は「神様が観ていてくださっているから、もうそれでいい」とおっしゃっていますし、「『右の手のすることを左の手に伝えてはならない』という聖句を実践したい」ともおっしゃっていました。

その先生に敬意を表して、今日はエピソードだけを紹介することにします。ただ、そのような先生がいらっしゃることは私たちの誇りです。

そして今一度、私たちも自らの胸に手を当て、「自分にできることは何か、神様に期待されている生き方はどんな生き方か」を考えて見ましょう。

 

一年の学びを終えようとする今、次の年の歩みへ、それぞれ決意することや、目標を立てることがあるでしょう。

 

その土台に、この啓明の生徒である、使命を受けた自分である、ということを据えて、2022年度のスタートを雄々しく始めましょう。期待しています。

 

 

指宿 力