KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

平和を実現する人々は、幸いである(マタイによる福音書5:9)

2022年12月21日

昨日は多くの生徒たちの奉仕による学院クリスマス礼拝を恵みの内に行うことができました。大変豊かな思いをいだき、今日の終業式を迎えています。出演者の皆さん、またその背後で支えてくれた生徒の皆さんや先生方、本当にありがとうございました。

校内でも皆さんの協力でたくさんのクリスマスの飾り付けがなされています。先日、多井畑の啓明寮を訪ねると、寮生がイルミネーションを飾り付けてくれていました。とても心が癒やされました。ありがとう。

 

こうしてクリスマスを迎えるとともに、今日は2学期の終わりを迎えています。それぞれにこの学期の取り組みや成果について今一度振り返る日となればと願っています。暦の上では2023年の締めくくりを迎えますので、この1年、自分はどうあったかを考える機会ともしてほしいと願っています。

今年度は啓明学院創立100周年を迎える記念の年ですから、10月の記念式典のみならず、いろいろな取り組みがなされました。生徒の皆や保護者の方々にも協力してもらいながら、思い出に残る楽しい時間も共有できていると思います。

 

またこの度、中庭に100周年を記念してモニュメントが設置されました。月曜日に除幕式を行い、披露されましたが、もう見たでしょうか。このモニュメントについては、次のような説明書きが設置されています。

 

2002年4月 尾崎八郎校長のもと、啓明女学院に男女共学の啓明学院中学校が発足し、共学1期生が入学しました。啓明の新しい時代を切り拓いてくださった尾崎先生に敬意を表し、モニュメントを設置します。

2023年12月 学校法人啓明学院

 

ここにあるように、尾崎八郎先生はその前年、関西学院から啓明学院の校長として着任し、1年の準備期間の後、男女共学の啓明学院中学校をスタートされました。高校の共学化はその3年後、2005年のことです。それ以来、これまでの間、力強いリーダーシップで啓明学院の共学化や、今に至る教育の土台を作るための歩みを先頭に立って導いてくださいました。その尾崎八郎先生の尊いお働きを覚え、感謝と敬意を込めて、100周年を機にこの中庭にモニュメントを設置しました。

モニュメントの制作者は田邊朗先生です。先生は佐賀県に工房を持つ現代彫刻家で、美術科の加藤先生の兄弟子ということで、今回の制作を快くお引き受けくださいました。このモニュメントには「シルクロ」とタイトルが付けられていますが、これはスペイン語で○を表す、「円」の意味だそうです。生徒の皆さんや啓明学院に連なる人たちが繋がりを持つことで、完全な円を思い描くことのできる作品として受け止めてもらえたら、と思って制作されたとのことです。ぜひ、皆さんも近くで作品を鑑賞してほしいと願います。

3学期に行われるチアリーディング部の創部20周年イベントなど、まだ100周年記念行事は続きます。この記念の年に在籍した自分と啓明学院の深い関係を心に留め、よきアニバーサリーイヤーとしていきましょう。

 

さて、今年は特に音楽の世界で活躍され、ずいぶん強い影響を社会にも与えた方が亡くなる悲しいニュースをたびたび聞かなくてはなりませんでした。たとえば、私が中学生の時にデビューして、世界に大きなインパクトを与えた日本のテクノバンド、イエローマジックオーケストラ(YMO)のメンバーだった高橋幸広さんが1月に、坂本龍一さんが3月に、それぞれご病気のため亡くなられました。お二人とも多くの音源を残していらっしゃいます。その一つ一つが今も褪せることのない魅力的な音楽で、これからも愛されていくのだろうな、と思います。

海外の方では、ジェフ・ベック、ロビー・ロバートソン、デビット・リンドレーが亡くなりました。彼らは、私が中学生の頃から今に至るまで、こんなギターを弾けるようになりたいと、一生懸命コピーに励んだギターヒーローです。寂しい知らせでした。

 

先月、特別礼拝で陣内大蔵先生が啓明学院に来てくださいました。その前日、夕食をご一緒したのですが、その時、会えるうちに会いたい人には会っておかなければいけないね、としみじみ語り合いました。特別礼拝の翌日、陣内先生から連絡がありました。KANさんが亡くなっていた、と。歌手のKANさんのことです。「必ず最後に愛は勝つ~」で有名な方です。ビックリしました。すぐにニュースにもなりました。

KANさんのことはずっと好きで、よく彼のラジオも聴いていました。3月の番組で、「ちょっと病気になったのでしばらく休みます、また治して戻ってきます」と言っていたので、闘病中だったことは知っていました。でも、まさかそんな深刻なことになっていたとは思ってもみませんでした。陣内先生自身はご自身の出した本の帯にKANさんから推薦文を書いてもらうほどの仲だったので、大変落ち込んだことでしょう。

KANさんはコンサートでも本当に楽しませてくれました。音楽はもちろんのこと、その人柄に魅了されました。一番のヒット曲、「愛は勝つ」は誰でも知っていると言ってもいいほど、有名な曲です。ピアノもとても上手で、槇原敬之さんも「KANさんみたいに弾けたらどれだけいいだろうとずっと思っていた」と言っていました。日本のシンガーソングライターの中ではピカイチの存在でした。

KANさんは、しばしば陣内先生をはじめ、音楽仲間と集まって曲を作ったり、イベントを開いたりして、みんなを繋ぐ人でもありました。「愛は勝つ」で得た自分のネームバリューを、まだ世に出ていないようなミュージシャンのためにも喜んで使ってくれる、そんな方でもあったので、KANさんのことを慕う人たちが今もKANさんへの愛を発信し続けていることもわかります。私はKANさんとはライブ以外で会ったことはありませんが、陣内先生を介して会っておけばよかったと心底後悔しています。

 

そのKANさんが亡くなったこともあって、「愛は勝つ」を最近またよく耳にするようになってから二番の歌詞もいいな、と改めて思っています。

たとえば「遠ければ遠いほど、勝ち取る喜びはきっと大きいだろう。」というフレーズで、頑張ろうと力が湧いてきます。

サビの「どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」という歌詞。何の根拠もないのかもしれませんが、「最後に愛は勝つ」と言い切ってくれているので、力づけられます。

「信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」という繰り返されるフレーズは、この曲では「信じる」ことと「愛は勝つ」ことがセットで使われていて、メッセージの大事な部分といってよいでしょう。信じていれば必ず最後に愛は勝つというのです。

 

さて、愛とは何でしょうか。神の愛、親の愛、恋人の愛、ペットへの愛。

いろいろな人が「愛とは何か」ということを考えてきていますが、二つほど紹介しましょう。

「愛とはけっして後悔しないこと」という有名な台詞が出てくるのは、「ある愛の詩」という映画のワンシーンです。

もう一つ、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のラストシーンで歌われる歌詞の一節で有名なフレーズを紹介します。「誰かを愛することは、神さまのおそばにいるようなもの。」これも愛の本質を突いているように思うものです。

このように、多くの人たちが「愛とは何か」ということを様々な表現で語ってきました。もちろん聖書もそうです。

 

今日、読んでいただいた聖書の箇所は、結婚式でも読まれることの多い、新約聖書で愛を定義づける一節です。

この章の終わりには、「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。」と締めくくっています。

皆さん自身も、ぜひ「愛とは何か」ということを定義づける、究極のワンフレーズを考えてみてください。もちろん先人のたどり着いた境地に学ぶために、誰かの言葉を探してみることもいいでしょう。そこに愛はあるのか、と考えながら、ぜひ自分なりのワンフレーズを心に刻んでみてください。きっと皆さん自身のパワーワードとなります。

 

昨日のクリスマス礼拝では、生徒会長の田中さんが戦争や貧困の中に置かれている方々のこともお祈りに加えてくれていました。ありがとう。

もちろん戦争の中にも愛あるエピソードもあるとは思いますが、戦争そのものは、愛ではありません。

貧困や憎しみの中にも愛は現れるとは思いますが、貧困や憎しみそのものは、愛ではありません。

つまり、私たちの住む世界には愛が欠けているのです。愛が足りない、愛に欠けた世界に私たちが住んでいるということです。

世界に足りていない愛を、愛が欠けたところだらけのこの世界に、少しでもその足りない部分を満たす働きをすることを期待されているのが私たちといえるでしょう。それが皆さん一人一人といえるでしょう。もちろん私たち自身だって、欠けたところがいっぱいある不完全な存在です。

しかし、世界に欠けた愛を満たそうとする行いや祈りは、私たちにはできるはずです。クリスマス献金を皆で献げました。そのお金は、今、この瞬間にも困難を抱えている方々を支える活動のためなどに用いられます。

それは全体からみれば、弱々しい、わずかなものかもしれませんが、世界の欠けたところを少しでも満たす大きな愛の一歩といえるのではないでしょうか。そういうふうに考えると、愛というのはどこかにあるのではなく、実に私たち一人一人の内にあるものだと思えます。

その愛を行いや祈りとして差し出すことの中に、聖書の語る、神様の願う世界を具現化していくことができるのではないかと思うのです。

そしてその愛を行いや祈りとすることによって、世界が少しずつ完全な形となるとしたら、それはまさにあの中庭のモニュメントが指し示す、不完全なものが繋がりあって円とする、そんな世界を作る一人になれるのでしょう。

互いに自分の持てるものを差し出し、祈りあう。そんな世界を作ろうとする啓明生であってほしいと願います。

 

戦争や争いのない世界。そんな願いはまったくの平和ぼけと言われるようなものかもしれません。現実を見ろと言われるかもしれません。現実のニュースでは、今日もパレスチナ、ウクライナに象徴される悲劇が続いています。たしかに平和への私たちの願いを実現することは、遠い、遠い所にあるのかもしれません。

しかし、互いにその日が来ることを信じ、小さくともその一歩を今日の私が踏み出すことによって、平和の実現の道が前に進むとしたら、大きく一歩を踏み出したいと思います。それがどんなに困難でくじけそうでも、必ず平和がやってくると信じることをあきらめず、必ず最後に愛は勝つ、と信じます。

信じるということは、希望を持つということです。

2学期を、そして2023年を締めくくるにあたり、そしてクリスマスを迎えるにあたり、一人一人がこの希望を持って歩む中で、心に宿る愛を持って神様に託された行いと祈りを果たすならば、必ずや平和への一歩を歩めるのだ、ということを胸に刻む我々でありましょう。

 

明日から年末年始の休みが始まります。それぞれに良き時を、啓明の生徒であることを忘れることなく、元気に過ごしてください。3学期の始業式、皆さんの笑顔に会えることを楽しみにしています。

 

指宿 力