
昨日のクリスマス礼拝は、多くの奉仕者の働きを得て、恵みに満ちたものとなりました。出演者の皆さん、さまざまな舞台裏の仕事を担ってくださった皆さん、ありがとうございました。全学年の生徒の皆さんとともにクリスマス礼拝を守ることができて、私は深い感謝の思いに満たされています。
この3年、コロナによって翻弄された日々を送らざるを得なくなっていましたが、それでも今年はキャンプや修学旅行もできました。明星祭も従来に近い形で実施することができました。そういう意味で、今年は皆さんの学校生活や家庭での過ごし方が元に戻ってきた嬉しい1年でした。
ウィズコロナからアフターコロナへ、という言葉も聞くようになりました。しかし、もうしばらくは基本的な感染症対策を行う必要もあります。電車やバスの中は自分たちだけの空間ではありません。感染に対して気を遣っている方々がいることを忘れず、マナーを守り、行動しましょう。私も、少しずつ変化していく感染防止の方針に沿って、皆さんが前向きで、溌剌とした学校生活を送れるようにしていきたいと考えています。
さて、皆さんは2022年が始まるとき、どんな1年になればいいな、と考えていたでしょうか。この1年を過ごして、願い通りのことを達成できた人もいれば、もうすこしで願いが適わなかった人もいるかもしれません。そもそもあれこれ考えていたけれど、すべて妄想に終わり、とくに何もしなかった、という人もいることでしょう。この年末、じっくり自分と向き合って1年をふりかえり、2023年はどんな歩みをしようか、と思いを巡らせてほしいと願います。
今年、最も大きなニュースであり続けたのは、2月24日にロシアがウクライナに攻め込んで以来続く、ウクライナ侵攻のことでしょう。啓明学院でも祈りを共にしたり、平和への思いを寄せたりしてきました。皆さんは、心を痛め、1日も早い収束を願っていることと思います。
しかし、現実はなかなか良い方向に向かってはいません。まだまだ解決の糸口を見つけることは難しいようです。ウクライナからの輸出が止まったことやロシアに対する制裁行為によって、世界はすっかりバランスを崩してしまいました。
また、中国の動向にも目が離せません。中国はさまざまな物の重要な生産拠点ですが、ゼロコロナを目指すあまり、少し前まで中国国内の経済活動が停滞してしまいました。
このように、戦争や経済などのいくつもの問題が複合的に重なって、今、世界中で物が足りなくなったり、物価が上がっています。私たちの生活が大きな影響を受けていることを、皆さんも感じていることでしょう。
日々のニュースは、ウクライナがドローンによる攻撃を受けたり、厳しい寒さの中、電力不足で深刻な状態に陥ったりしていることを伝えています。ロシア軍は、士気の低い兵士を脅して前線に送るようなこともあるとのニュースも見聞きします。
そのようなニュースに触れるたびに、戦争の渦中に身を置かなくてはならない人たちが、今、このときもいるということを、私たちはしっかりと心に留めなければならないと思います。そのような世界情勢や日本の軍事に関わる法律の変更など、気がかりなことの重なる中でも、今、私たちはクリスマス礼拝を守り、クリスマスの喜びを感じています。アドベントに入ってから、校長室にもきれいなツリーを飾ってもらい、私自身もクリスマスムードの中に毎日います。アンバランスな状況に生きていることを強く感じています。
最近、よく頭に浮かんでいる曲があります。それは「彼らは今がクリスマスと知っているのだろうか」という曲です。今からちょうど38年前の1984年、アフリカのエチオピアで干ばつなどを発端に、食糧不足による大規模な飢餓が起こっていることが世界的に報じられました。骨と皮だけになったかのようなエチオピアの人々の姿に多くの人が驚いたのです。
その驚きから行動を起こした人たちの中に、イギリスのミュージシャン達もいました。彼らは、協力し、曲を作り、皆で歌い、その収益をエチオピアの人々への支援に使おうと考えたのです。それが “Do they know it’s Christmas“という曲です。「彼らは今がクリスマスと知っているのだろうか」という意味ですね。
この活動は、たびたびリメイクされます。2014年には、エド・シーランなどが参加して、エボラ出血熱の支援のために資金を集めました。この曲を耳にしたことのある人も大勢いることと思います。今日の終業式では曲を流すことはしないので、また家ででもゆっくり聴いてほしいと思います。ここでは歌詞だけ紹介します。歌はこのように始まります。
It’s Christmas time
クリスマスの時期がやって来たよ
There’s no need to be afraid
怖がることなんてないよ
At Christmas time
クリスマスの時期には
We let in light and we banish shade
灯りをともして 闇を追い払うんだ
聞き手を安心させ、包むような冒頭に、こう続きます。
豊かな世界の中で 僕らは喜びの笑顔を広げよう
腕を伸ばして 世界を包もう このクリスマスの時期に
それはクリスマスの喜びを分かち合う願いが込められた言葉です。しかし、その後、
祈ろう 他の人ために
クリスマスの時期に
難しいことだけど
君達が楽しんでいるときに
窓の向こう側には 別の世界がある
それは不安と恐怖の世界だ
と現実が語られます。そして最後には、
Feed the world
世界に食料を送ろう
Let them know it’s Christmas time again
彼らに知らせよう クリスマスがまた来たことを
と、「クリスマスだからこそ、飢餓に苦しむ人々のために、ともに行動しよう」と呼びかけています。この歌詞は、今の私たちにも「直面している問題から目を背けないで」と警鐘を鳴らしているように感じます。
当時、多くの人はそのメッセージに心を動かされ、募金をしたり、自らも行動を起こしたりしたことを覚えています。今、私たちもクリスマスの幸せな雰囲気の中にいるからこそ、多くの苦悩と困難があることに敏感でいて、祈り、行動できる者でありたいと願います。クリスマス献金を献げましたが、これもその行動の一つです。平和を願い、世にあって小さくされた人の側に立つ人でありたいと願います。
昨日、私たちはクリスマス礼拝で「アンデレの不思議な夜」をクリスマスメッセージとして聴きました。
小さな羊飼いのアンデレは、不思議な、燃える星に導かれてベツレヘムにいざなわれます。途中、アンナというひいおばあさんに会い、救い主という赤ちゃんがどんな方なのかを教えてもらいました。アンナは「あの方は……」と語り出し、神の下に人を漁る漁師で、言葉の種まきをしてくださるお百姓で、ぶどうの木のように枝を養い、そして私たちの罪のために十字架につけられる方なのだと教えてくれるのです。
アンデレにはその意味がよくわかりませんでした。けれども、アンナの織った小さな布を大事に持って、貧しい人、悩める人の幻を見つつ、ベツレヘムへ駆けて行きました。そして、生まれたばかりの赤ちゃんの頬に流れる涙の目を、そっと拭いてあげたのです。この物語は短いながら、クリスマスのできごとをイエス様の誕生物語としてだけではなく、やがて十字架にはりつけにされる、その一生涯まで見通した深みのあるものとなっています。
アンデレはまどろみの中で、この世界で虐げられるさまざまな人と出会いました。そして目覚めたとき、小さな赤ん坊として描かれる、守ってやらなければ命も失いかねない、もっとも弱い者の涙を拭きます。アンデレの象徴的な行動は、「クリスマスを通して、あなたは何をするべき存在なのか」ということを、私に問いかけているように思いました。昨日、野村さんの朗読を聴きながら、皆さん、ひとりひとりに「啓明学院の生徒には、どんな期待と使命があるのか」ということを問う物語だなとも思っていたのです。
年末に際し、今年の自分自身をふりかえることは、「いったい自分は、この年、どんなことを願い、何をしてきたのだろう」と、内なる自分に問うことです。自分への期待と自らの使命をもう一度考えることでもあるはずです。そのうえで、「2023年はどのような歩みをしようか」と、前向きで、活き活きとした学校生活を送ろうと気持ちを高めてほしいと願います。
この世界で、啓明学院の皆さんは希望の存在です。それを決して忘れることなく、これからもよき歩みを目指してほしいと願います。
クリスマス、年末年始、家族と過ごす時間も長くなると思います。家庭での役割を任されることも多くなると思います。「啓明学院に通うようになって成長したね」と言われるように行動してください。
冬休みを安全に過ごし、3学期の始業式で元気な顔を見せてください。
今日、小嵜先生が読んだ聖句は、イエス様御自身が本当の幸いとは何かを、私たち一人一人に語りかけた言葉です。「平和を実現する人々は、幸いである」という部分は、とくに心に刻みたいと思います。
一枚の葉書を出すことも、短くてもメッセージを送ることも、顔を見せることも、相手の心をあたたかくするものです。そうしたことこそ、平和への一歩でしょう。君たち一人一人が、家庭の、社会の、そして世界に平和をもたらす希望の光です。今日までの2学期のお守りを感謝し、終業式のメッセージとします。
指宿 力