KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

高校卒業式 式辞

2023年2月22日

2022年度啓明学院高等学校卒業生の皆さん、卒業おめでとう。

 

入学前には考えもしなかったような高校生活を過ごした時期もありましたが、それぞれの高校生活を今日の日、終えようとしてきます。君たち一人一人は、この未曽有の経験の中で立派に高校生活を全うした2022年度の卒業生です。この後、胸を張って卒業証書を受け取りに来てください。

 

保護者の皆様、今日の晴れの日を、こうして共に迎えることを嬉しく思います。これまで学校を信じ、大切なお子様を託してくださり、そして、いつもあたたかいお支えをいただきまして、本当にありがとうございました。折に触れ、学校に足をお運びいただき、生徒たちが与えてくれる喜びや感動を共に分かち合えたことは何よりの幸せでした。感染状況の厳しい中、許される範囲ではありましたが、教職員とも親しい交わりも賜りましたことに、心より感謝申し上げます。

 

また学年主任を始め、高3学年団の先生方、今日まで生徒たち一人一人に寄り添い、励まし、今日まで共に成長の歩みをなしていただき、本当にありがとうございました。

 

さて、卒業生の皆さん、皆さんが啓明学院高等学校に入学した2020年は、まさにコロナ初年度、私も校長就任1年目でした。

4月1日に入学式を行うも、すぐに休校期間に入り、学校再開は6月を待たなければなりませんでした。

 

オンライン授業もそう簡単に始めることはできなかったですし、デバイスの配布も、焦る思いはあるものの、全員に行き渡るまでには時間を要しました。iPadを梱包し、運送業者のトラックに積み込み、無事届くように祈る思いで見送った日のことは昨日のことのようです。

 

あの頃、私も情報をとにかく知りたいとニュース報道にかじりついていました。日々の感染者数を記録し、世の中の動向や翌日以降のことについて、素人ながら考える毎日でした。

 

確かゴールデンウィークのことだったと思います。コロナ前に行われた小田和正さんのコンサートの様子がテレビで放送されているのを家で観ていました。大きな会場で、お客さんが楽しそうに一緒に歌ったり、小田さんが客席まで行ってマイクを差し出したりしている様子が映し出されていました。

 

コロナ禍真っ最中にそれを観ていると、もう二度と人々が集って歌える時代はやってこないのではないかと、何だか切なくなって涙がこぼれてきたことを覚えています。

皆さん自身も、あの頃、全国的な緊急事態宣言の下で、このまま自分たちの高校生活はどうなってしまうのか、と大きな不安に襲われた人もいたことでしょう。

 

休校中はオンライン授業に取り組みながら、学校再開に向けていろいろな提案がなされ、先生方も協力して準備を進めていました。「飛沫防止パネルを作ろう」と私が言うと、材料を取り寄せ、自作してくれる先生がいました。大きな声を出さなくてもいいように、「先生達一人ひとりにポータブルのマイクとスピーカーを持ってもらおう」と言うと、事務の方がいくつもの業者にあたり、必要数を用意してくれました。「あれがない、これが足りない」と言うと、毎日のように学校帰りにお店を回って消毒液や必要な物資を買い集めてくれる先生もいました。

 

6月になり、午前午後に分けた分散登校の形で、何とか学校を再開し、皆さんの登校が始まりました。ただ、様々な規制が敷かれる中、いつもなら行っていた行事や授業での取り組みを思うようにできず、身を切られるような判断をせまられる日々が続きました。それでも教職員の踏ん張りがいたることころであり、時に他校の先生からは「啓明は前のめりですね~」となんとも微妙な言葉をもらうこともありました。

 

すべてにおいて完璧な対応ができたわけではなかったと思います。しかし、何とかこれまでおこなってきた啓明ならではの取り組みを、つまり啓明の教育の本質を手放すことのないように、制限のある中ではあるけれど、誠実に行っていこうという教職員皆の思いがありました。

 

そして皆さん一人ひとりをほかの誰でもない、啓明生として成長させていきたいという保護者の皆さんの願いが、いつも背中を押してくれたことに感謝の思いは尽きません。

 

この3年間、私たち教職員の中心にあったものは、他ならぬ祈りです。どんなときも、まず会の前には祈りを共にし、「欠けたところは神様に満たしていただけるはず」と励ましと力づけを願いながら、今日まで歩んできたのです。

 

そのような祈りと願いの中の皆さんの3年間はどうだったでしょうか。

私は本当に啓明らしい高校生活を見事に送ってくれたと思っています。皆さん一人ひとりが魅力ある啓明生として立派に育ってくれていることは、先日の校長面接で感じました。

 

啓明での日々は、価値ある成長の毎日であり、他に変えることの出来ない、ここでしかできない、尊いものであったと確信しています。

 

もちろんできなかったことはあるし、短縮して行わざるを得なかったことはあるけれど、その欠けたところを満たしたのは、皆さんの明るく、前向きな姿であり、啓明生であることを大切にしようとしてくれた思いでもありました。

少々のことではめげず、その時その時の事情を理解し、「できる範囲の中で目一杯やってやろう」とする皆さんの姿に、何度励まされたことでしょうか。そういう意味でも、この3年間を共にした皆さんは、私たちにとっても特別な存在なのです。ありがとう。感謝しています。

 

さて、1月の震災追悼礼拝で君たちの学年主任であるN先生が御自身の1.17を振り返って話してくれました。その時、三線を奏でながら震災を機に作られた「満月の夕」を歌ってくれましたね。そして先日、その歌を今度はリクオさんが歌ってくれました。あの曲の歌詞を少しは覚えている人はいるでしょうか。

 

そこには「がれきの町に立つ」や「たき火を囲む」というキーワードがありました。あの歌にあるように、1995年の大震災は私たちの家や町をがれきと変えました。燃え残ったものをたき火にして暖を取った日々がありました。私にとっても「満月の夕べ」は、そのころをリアルに思い出す曲です。

 

あの時、N先生もそうでしたが、私が住んでいた、大家さんの家を増築して作ったような、東須磨の一人暮らしの部屋も住み続けることができなくなりました。当時お勤めだった啓明の先生の家に身を寄せ、そこから出勤したり、被災した生徒たちの安否確認に向かったりするような日々をしばらく過ごしていました。

 

少し経って落ち着き始めたとき、いつまでもこのような暮らしはできない、早く家を探さなければと思いましたが、地震の直後、当然なかなか手の届く物件は見つかりませんでした。そんな困っていた私たちに知り合いの不動産屋さんを紹介し、家を一緒に探してくれた同僚がいました。

 

今日、お越しになっていますが、A先生ですね。この学年の中1,中2の時の学年主任をお務めになった先生です。そのおかげで、私は大変良心的な家賃の部屋を見つけ、移り住むことができました。

 

引っ越しの時は、大型のトラックをお知り合いから借りてきてくれて、壊れた部屋から家財道具を運び出し、新しい部屋に運び入れてくれたのも、A先生を始めとするO先生や同僚の先生方でした。

 

新しく紹介してもらった部屋は安普請の文化住宅でした。壁が薄く、隣の部屋と音が筒抜けでした。下の階に毎晩もの凄い音量で中島みゆきをかけるおじさんがいました。それでも、住む部屋を持つことのできた安心感に比べたら、たいしたことではありませんでした。

 

あの時、住む場所を失い、誰かの助けを必要としていた私は、このように助けられた一人だったのです。

今でも、当時、手を差し伸べてくださった方々への感謝の思いは尽きません。

 

今、がれきの町にいて、たき火で暖を取っているのは誰でしょうか。

 

例えば、間もなく1年を迎えるロシアのウクライナ侵攻のただ中にいる人々であり、例えば、先ごろのトルコ・シリアの大地震の被災地の人々でもあるでしょう。

 

トルコでは、卒業生のUさんがNPO法人「CODE(コード)海外災害援助市民センター」の事務局長と共に、いち早く活動を始めていました。その行動力に頼もしさを覚えます。現地の様子を知らせてくれた働きは、これからの支援への大きな一歩となったことと思います。一人の若者の迅速な行動に敬意を覚えます。

 

もし私たちが世界や他者に関心も持たず、愚鈍な感性しか持ち合わせていないのであれば、遠い国での悲惨で困難な状況も、身近にいる人の困難や苦悩も、気づきもせず、知ることもないのでしょう。

 

しかし、みずみずしい感性を持ち、出会いを尊び、他者の思いに気持ちを向け、共感する心を持っているならば、その時その時、私にできることは何かを考え、他者の心に寄り添い、行動することができるのではないでしょうか。それはこの啓明で常に求められことであり、学んだことであったことでしょう。

 

なぜなら、啓明は聖書の言葉が活きて働く場所であり、その精神は繰り返し皆さんに語りかけられていたからです。聖書の言葉は本質的な問いを皆さんに問いかけるものです。

 

あなたはいったい何を望んでいる人間ですか、あなた自身はどう生きることを期待され、何を待たれているのですか。

 

だから、かつて震災の時の私がそうであったように、もしかしたら皆さん自身がそうであったように、そして今、彼の地にある人がそうであるように、事の大小の違いはあれ、皆さんの前に現れる、皆さん自身の心を揺さぶるものは、あなた自身に次のアクションはどうするか、問いかけてくることでしょう。その時、皆さんが行う行動、語る言葉、思いや優しさを、私たちは愛と呼ぶのだと思います。

 

私は啓明での学校生活を通して、その愛はすでに皆さん自身の一部となっていることを信じています。これからの新しいステージでも、愛の精神を大いに発揮して、周りの人たちに勇気と希望を与える、啓明で学んだ者らしい歩みをしてほしいと願います。それは、きっと皆さんの立つその場所をよりよいものとしていく、力の源となることでしょう。

 

皆さんが出会う人、出会う人にその精神が広がっていくとしたら、どんなに素晴らしいことかと思います。それをなすことを皆さん一人ひとりに委ねたいと願います。啓明を卒業する、ということはこの啓明の愛の精神の実践を託されるということです。そこにこそ、この啓明で学んだ価値が輝くことでしょう。

 

そのためにも、これからもますます学び続け、自分自身より良く生きようとすることに励んでください。

 

そして内なる自己と向き合うことを恐れず、自分の事ばかりでなく思いやりを持ち、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く、そんな皆さんであり続けてください。

 

皆さん自身がこの愛の精神を携え、歩もうとするその先に、神様の願う世界が現れることでしょう。その愛の精神こそが啓明のスピリットです。

 

そんな世界を創り出すための、皆さん自身の新しい歩みがいよいよ始まります。

 

今、それを皆さんに託します。どうぞよろしく。

それでは良き人生を。

 

2023年2月19日

指宿 力