KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

2024年 年頭のメッセージ

2024年1月11日

3学期始業式のメッセージ

 

明けましておめでとうございます。新しい年の訪れを共に喜びたいと思います。この2024年も生徒の皆さん、教職員一人一人にとっても良き年となることを心より祈っています。

新しい年を迎えた始業式に際して、ヨシュア記1章9節の「強く雄々しくあれ」とある、勇ましい聖書の箇所を読んでもらいました。この言葉は、偉大なモーセに続いてイスラエルの指導者となるヨシュアに対する、期待と希望を重ねた神様からの力づけと励ましのメッセージといってもよいところです。私たちのこの年の歩みにおいても、神様が共にいてくださる、だからこそ、うろたえたり、おののくことなく、強く雄々しく歩んでいきたいと願っています。どうぞこの聖句も心に留めた一年としていきましょう。

 

この冬休み、クラブ活動をはじめ、啓明でもいろいろなチャレンジの機会がありました。年末には久しぶりにインド交流プログラムを実施し、15名の生徒たちが参加しました。その様子はホームページでも紹介されていますので、まだ見ていない人はぜひ確認してほしいと思います。参加した生徒たちは、啓明学院を代表してグジャラート州のJGインターナショナルスクールやグジャラートパブリックスクール、デリーのブルーベルズ・スクール・インターナショナルなどを訪問し、現地の生徒たちとも交流の機会を持ちました。ブルーベルズ・スクール・インターナショナルからは啓明学院にと、インドの国章が掘られたこの木彫と、本を献品いただいています。木彫は校長室に置いておきますので、また観に来てください。本は図書館に置いてもらいますので、また手に取りに行ってください。

 

さて、年末年始と久しぶりに家族や親族と過ごせた人も多いとは思います。この1月1日の能登半島で起きた地震、津波はまだまだ全容もつかめないほど大きな被害をもたらしており、皆さんの中にも何かしたいけどなかなか難しいようだと、やるせない思いを抱いている人いるのではないかと思います。ご家庭によっては、今回被災した地域に家族や親戚や知り合いがいらっしゃるところもあるかとも思います。その方々の安全を祈るとともに、啓明学院としても被災された方々にできることをなしていきたいと考えています。

今、現地の様子を知るには、そこから発信してくれるメディアの情報が頼りです。傾いた家々を見ていると、1995年の神戸で自分自身が見てきた状況に重なってきます。ただ阪神淡路大震災のときは、大阪までは普通に電車が動いていましたし、近隣から支援物資もいくつかの方法で届いていました。当時は多くのボランティアの方々が来たり、物資の輸送も個人が行うことが可能でしたが、今回の場合は随分そのような状況とは違い、なかなか必要な生活物資が行き届かず、孤立している町や村も多いようです。

 

今、被災地にいる人たちは、食べ物がない、水がない、安心して眠る場所がない、そしてとても寒いなど、命の危機の中にあると思います。そのようなことを考えると、ご飯を食べることすら、申し訳ないような思いになります。私たち自身が経験した神戸の震災当日の悲惨な状況や、あれから随分長い間、大変だったことを思い出すとうつろな気持ちになります。

あの震災のとき、私は東須磨に一人で住んでいました。激しく被災した地域だったので、地震直後はガスのにおいが漂う中、近隣の人たちを壊れた家から引っ張り出すなど、できる限りのことをしました。しばらくすると板宿方面からの火事が迫ってきたので、まずは火事を止めなければと、途中で出会った消防士の方と二人で夕方まで消火活動をしていました。私の住まいも住めなくなったので、啓明の先生の家にしばらく居候させてもらっていましたが、食べ物を買おうとお店に行っても食料品はほぼ何もない、という状況がしばらく続きました。

実家は甲子園口で、教会と幼稚園をしていましたが、数日後に帰ってみると、近隣の方が大勢、避難されていて、大変な状況でした。とにかく水が不足していたのですが、飲み水は近くの浄水場にもらいにいきましたし、トイレ用の水は武庫川までバケツで汲みに行きました。何度も何度も往復したのを覚えています。

 

そういった当時の日々がありありと浮かび、今の自分がこうしていてもよいのかと思ってしまうのです。皆さんの中にもニュースを見て、そういった思いになる人も多いのではないかと思います。

ただ、最近、タレントのやす子さんがSNSで発信した回答が話題になりましたね。ファンからの「今の災害に私たちができることはなんですか?」という問いかけに「日常を送れる方はいつも通り日常を楽しむことですかね! あとは募金とかでしょうか…」と回答していたのです。続けて「自家用車で支援をしに行くと道路が混み、緊急車両の邪魔で助かる命も助からなくなるので、今皆がいる場所で精一杯日常を生きるのが大切かもですね…!」とアドバイスをしています。今、できることは、被災されている方々いることを忘れずに心に留めることと、自分がこの状況でできることを冷静に考えること、そして私たち自身も日常を大切にすることでしょう。

もちろん、誰かが困っている状況を前に、何かしなければ、と思うことは大切です。他の人の痛みや苦しみに胸を痛める心を持っていることは大事な人間性のあらわれです。時には思いのまま、やみくもに突っ走ることがあってよいかもしれませんが、災害や事故の時には理性的で落ち着いた判断をすることが生死を分けることもあります。実際に私たちにどのようなことが今、できるのかと考えてみても無力感に苛まれますが、まずは心からの祈りを捧げることと、連帯の意識を持ちながら、これから実際にすべきことを具体的に始めて行くことを共に考えていきましょう。

 

1月2日に起こったJALと海上保安庁機の衝突事故では、JALの客室乗務員の方々が訓練を活かして全員を無事避難させたことが賞賛されています。報道によれば、飛行機の中の連絡装置が使えなくなり、開けるべき扉と開けたら炎や煙が入ってきそうな扉を冷静に見極め、現場の判断で脱出したとありました。当然、乗客は一刻も早く出たかったとは思いますが、今回はそんな冷静な判断がよかったと伝えられています。こうした災害や事故の際で報道される、日頃の訓練や状況判断からも学びたいと思います。もちろん安全にすごせる状況で、いつも安心しきって過ごしたいと思いますが、いつ何が自分にも起こるか分からないという警戒心はやはり忘れてはなりません。

そして何かあったときに助けられる存在となるためには、理性的な判断ができることが大切でしょうし、必要な知恵を携えていることも必要でしょうし、力そのものも欠かせないのでしょう。今の私たちの日常は、そのような存在になるための鍛錬や訓練も含まれていると言ってよいかと思います。日頃の準備を含め、日常をおろそかにしてはいけないと、こうしたときに自戒することも必要だということです。皆さんの日常の経験や学びが真の生きる力を体得し、賢明な判断ができる成熟した人間へと成長を共にする啓明学院でもありたいと願っています。そしてそのような日常を大切にする3学期ともしていきましょう。

 

ところでこの年末、タレントのあのちゃんをいろいろなチャンネルで見かけました。独特の声や話し方が注目を集めているようですが、先日、あのちゃんのインタビューを拝見し、それまでと少し見方が変わりました。

あのちゃんが一人称にボクを使う理由は、何にもくくられず、自分自身で生きていることの証しだとのことですが、それでも「自分らしくってムズい」と言っていました。それでも、自分に素直に生きることが自分らしさにつながるのだと、テレビやコンサートで、その時々のあのちゃんで表現をしているそうです。そして「そんな生き方を観てもらうことで、自分みたいな生き方をしてもいいって、いろんな人に思ってもらえたら、多様性を認め合う世界に近づくんじゃないかな」と言っていました。

皆さんの中にも、いろいろな生きづらさを抱えている人はいるかもしれません。自分の考える正義が周りとズレていると感じていたり、本当の自分をさらけ出すことが怖かったり、何かをしたくても、お前なんかが、と言われそうで怖かったり。しかし、啓明学院はそういう人こそ、胸を張って、自分らしさを大いに発揮し、やりたいことを大きな声で言える、そんな学校でなければいけないといつも話していますね。もちろんやりたいことがあっても、学校として許容範囲が広い部分もあれば、中学・高校としてできる範囲が限られている部分もあると思います。ただ、やりたいことがあればやりたいと安心して声を上げることができる、そんな学校風土は決して啓明が失ってはならないところです。そんな学校を皆で作っていきましょう。

それは自分だけがよい思いをするためではなく、誰もが安心して生きていくことができる社会を作る一歩を踏み出すためです。被災した地域の方々への思いを心に留め、今の自分にできることを考え、それを果たしつつ、今の自分の日常を丁寧に守り、力を付け、知恵を付ける、そんな日々をこの1年、皆と過ごしたいと願います。神様はどこにいってもあなたと共にいてくださるのですから。

 

さて、最近の宝島社の広告の文章がとても心に残ったので、その一部を紹介して結びとします。

 

途方もない目標を口にして、好きなだけ自信を持ち、

いつも自分を楽しんで、行けるところまで駆け抜けてくれ

 

皆さんがどれほど大きく成長していける1年とするのか楽しみにしています。一人一人が豊かに与えられた賜物があるのですから、自分で自分に制限をかけることなく、精一杯前向きに歩もうとする先に、自分が思いもしなかった自分自身を発見することができるものです。そのためにも途方もない目標を口にして、好きなだけ自信を持ち、いつも自分を楽しんで、行けるところまで駆け抜けようとする1年ともしてみましょう。皆さんの2024年の歩みが、神様のお守りのうちに祝福されたものとなることを心より祈っています。

 

 

指宿 力