KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

2学期終業式のメッセージ

2024年12月23日

いよいよ今日、2学期終業を迎える日となりました。年末は、1年を振り返る時でもあります。

思えば、今年は元旦に能登半島で大きな地震が起こったという衝撃的なニュースから始まりました。10月には高校生の有志が被災地にワークキャンプに行きました。これから現地に行き続けることが可能であるかどうかはともかく、息長い支援をしていきたいと願っています。

 

また、再び戦争の世紀に入ってしまったのではないかと思うほど、今年も紛争のニュースは途切れることがありませんでした。ロシアのウクライナ侵攻も長引いています。最近、北朝鮮から派兵された人々もこの戦闘に参加しており、成果を挙げているとか、コミュニケーション不足から、味方のはずのロシアの車両を間違って攻撃したりしていると報じられています。縁もゆかりもない土地で、国の都合で派遣された人々が殺し合いをしていることに戦慄を覚えます。パレスチナ・ガザ地区への激しい攻撃をしているイスラエルは、停戦に向かって話し合いを進めている、というニュースがありました。これまでの壊滅的な惨状に、なすすべのない絶望的な思いを抱くものでもあります。

手つかずの被災地の実態の前に立ちすくむ思い、悲惨な戦争の憂鬱、また、今年亡くなった方々を送る悲しい気持ち。そうした思いは年末の寒さとともに胸に染みるものであります。そのような時だからこそ、クリスマスの賑やかさは慰めになるのかとも思います。校長室に飾られているクリスマスツリーに私も心癒やされる毎日を送っています。そして、街のイルミネーションはウキウキする気分をもり立ててくれるものです。

 

しかし皆さんは、そのクリスマスの意味を知っている人たちです。ただ華やかな飾りつけを喜ぶだけのシーズンを送っているわけではありません。クリスマス、それはイエス・キリストの誕生を祝うときです。救い主として世に遣わされたイエス様は、聖書を通して私達に、あなたはいかに生きるのか、あなたはどう考えるのか、と問いかけ続けられる方であり、一人ひとりにとって心の拠り所となる方でもあります。

クリスマスは、そんなイエス様を特に身近に感じる時でもありますが、イエス様が私達一人ひとりにどういう存在であるのかを語る有名な詩があります。これまでにも礼拝で紹介されたことがありますし、聖書の先生から聞いたかもしれません。しかし、これは何度も何度も耳で聴き、心に留め続けたいストーリーでもあります。

 

 

「あしあと」

 

ある夜、私は夢を見た。私は、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上に二人のあしあとが残されていた。

一つは私のあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

私は砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

私の人生でいちばんつらく、悲しいときだった。

このことがいつも私の心を乱していたので、

私はその悩みについて主にお尋ねした。

 

「主よ。私があなたに従うと決心したとき、

あなたは、すべての道において私とともに歩み、私と語り合ってくださると約束されました。

それなのに、私の人生の一番辛いとき、一人のあしあとしかなかったのです。

一番あなたを必要としたときに、あなたがなぜ私を捨てられたのか、私にはわかりません」

 

主はささやかれた。

 

「私の大切な子よ。私はあなたを愛している。

あなたを決して捨てたりはしない。

ましてや、苦しみや試みのときに。

あしあとが一つだったとき、

私はあなたを背負って歩いていた。」

 

 

砂浜に足跡が一つだったのは、歩けないほど打ちひしがれていた私をイエス様が背負ってくださっていたのですね。今、中学時代、高校時代の真っ只中にいる皆さんにとっても、いつも、いつも楽しくバラ色の日々を送ることができているわけではないでしょう。時には打ちひしがれるような思いに陥ることもあるかもしれません。進路、成績、友達、親、身体、部活動や一生懸命取り組んでいること。悩みの種は人それぞれだと思いますが、誰しも何かしら不安な気持ちを抱えていることでしょう。

そして上手くいかないとき、悲しい気分に覆われるときは、楽しそうにする周りの人たちを羨ましくおもったり、憎々しく感じたりするかもしれません。人間とはそういうものだからです。そういう中で、しんどい時にこそ共にいるよ、というイエス様のメッセージは大きな力となるものですし、そのイエス様の誕生を喜び、祝うときがクリスマスなのです。そして日々、我々に勧められているイエス様に倣う生き方とは、私達もイエス様のように誰かの力となり、誰かを背負う人間となろうとすることでしょう。

だから、あの激しい戦争のさなかにいる人々のことを祈ることは無力ではないし、昨日、皆で寄せ合ったクリスマス献金もとても大切で、意味ある行いなのです。

一人の人間に世の中を大きく変える力はなくとも、一人の人間が祈ることは、世の中と繋がり、その思いを行動に移したり、形にするきっかけとなるものです。そして困難の中にいる方を孤立させない、励ましと力を与える大事なことであるはずです。

どうぞ一人ひとり、今学期を振り返り、今年を思い返しながら、祈りを捧げるべき人は誰か、自分の心に問いかけましょう。それをこそ、神様は見ておられるのだと思います。

 

この季節、よく耳にするクリスマスソングに、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの「ハッピー・クリスマス」があります。歌のメッセージは、クリスマスを喜び、平和を祈り、さあ今が戦争を終える時だ、という極めてものです。この曲が世に出たのは、絶望的に泥沼化したベトナム戦争の時代です。そんな時にジョンは平和を願い、戦争は終わるよ、と歌ったのです。

この曲は、ジョンとヨーコがそれぞれの子供達に「ハッピー・クリスマス」、とささやく、極めて私的な呼びかけから始まります。世界の平和は、まず子どもたちと共にクリスマスの訪れを喜ぶ、そんな思いから始まるのだという、ジョンの暗喩的なメッセージを私達は感じることができるのではないかと思うのです。

だから私達も「ハッピー・クリスマス」、「メリークリスマス」と互いに声を掛け合い、クリスマスの訪れを祝いましょう。そして私達一人ひとりに託されている平和を実現する者としての歩みを、まずは私達の近くにいる人の困難や苦しみを共に担うことから始めていきましょう。それもまた、昨日のクリスマス礼拝で聞いた「愛あるところに神あり」のメッセージに重なることでもあるはずです。

 

明日から冬休みに入りますが、どうぞ一人ひとりが安全に、健康に過ごせることを心より祈っています。思いもかけない事件や事故に巻き込まれないよう、気をつけて過ごしてほしいと思います。良き経験を積んだり、学びを深める時間も持ってほしいと思います。そして3学期の始業式も、元気な歌声で讃美歌を皆さんと一緒に歌えることを楽しみにしています。

 

指宿 力