KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

神様からのミッション 11月の礼拝奨励より

2020年12月1日

近年、啓明では何名かの先生がヘアドネーションに挑戦している。髪を伸ばし、ある時期が来たら切って、それを必要とされている方のためにお贈りする活動のことだ。随分時間のかかることではあるが、こうしたチャレンジをされている先生方がいることは胸を張って紹介したいことだ。

現在、中学3年生の担任をしているY先生は、今は坊主頭に近い髪型をしているが、去年まで3年の歳月をかけ、背中まで届くほど髪の毛を伸ばしていた。髪が伸びてからは上手にアップにしたり、ちょんまげ風にしてみたりといろいろ工夫していた。なかなか学校の男の先生で長髪は珍しいので、好奇の目にさらされることもあったと思うが、Y先生はヘアドネーションを目指し、いつも髪の毛を丁寧に扱っていた。自分の頭に生えている髪の毛だから自分のものなのだろうが、伸ばして人に役立ててもらいたい、という思いが芽生えたときから、髪の毛が自分のものだけど自分のものではない状態になるのだ。いつか誰かのものになるからだ。その時、髪の毛に全く異なる意味と価値が生まれる。そしてそれは誰かのために生きようとすることでもあるのだ。めでたくY先生はたっぷり伸ばした髪の毛をすっきりと刈り込み、短くして出勤してきたときには職員室に衝撃が走ったが、立派だなあ、とつくづく思った。

先日、明星祭があり、出演したクラブでは3年生がその活動を終えた。その他のクラブでもすでに代替わりしたところもあるし、まだまだシーズンが続いているところもある。これから試合や大会が残っているクラブはやり残しのないように、しっかり頑張って欲しいと願うが、それでも時が来れば3年生は活動を次へと繋げなくてはならない。

この仲間と、ずっとやっていたいと願う気持ちはあるとは思うが、皆の前に先輩たちがいたように、いつかは終わりの日を迎え、次の世代へとバトンを渡さなければならないのだ。もちろん、それはこの啓明学院の生徒である、ということにおいても当然同じ事だ。誰かが前に歩いてくれた道を、今みなさんは歩いている。

当然、学校生活やクラブ活動の主人公は自分自身であるのが、その舞台は自分の活動を終える時には返さなければならない。でも、だからこそ今、ここにいること、今、一生懸命打ち込めるクラブにいることができること、今、楽しい学校生活が送ることが出来ていることを、本当に大切にして欲しいと願う。しかし、ここでいう大切とは、自分自身が楽しむためにということではなく、いつかは誰かに渡さなければならないバトンを握っているにすぎないのだから、そのバトンを預かっている間はそれを大事に扱うという意味での大切にして欲しい、という意味だ。

皆には常に自分は誰かに渡すべきバトンを預かっているという意識を持っていて欲しい。そのバトンを預かるということはそれだけで価値のあることだし、責任が生まれることだ。その価値と責任に値する行動をとることを私はここでミッション、使命と言いたい。

バトンを渡された者にはミッションがあるのだ。その学校の生徒であることやクラブの部員であるということなどのバトンを持っている皆は、そのミッションを果たさなければならない。しかし、ミッションは皆の内発的な気づきからこれを果たそうとしなければ意味はない。叱られるから、とか罰せられるから、とかいう外圧的な規制の問題ではない。それには私たちが今の時代を預かっているという認識が必要だ。

かつてのキリスト教指導者の一人、内村鑑三の著書にハーシェルの言葉として引かれている有名な言葉がある。ハーシェルはドイツの天文学者だが、20歳の時に友人に次のように語ったと内村は記している。『わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか』これは人類の究極的な目標だ。この言葉を私たちも実践したいと願う。その上で、ハーシェルに倣って君たちにこう語りかけたい。

我が愛する生徒たちよ、君たちが卒業するときには、君たちが入学したときより、啓明を少しなりともよくしていこうではないか』この意識を皆で共有することが出来るならば、私たちは本当に素晴らしい学校を作ることが出来るのではないだろうか。

 

指宿 力