KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

中学校卒業式 式辞

2021年3月13日

2020年度啓明学院中学校卒業生の皆さん、卒業おめでとう。

世界中が大変な思いをしたこの年に中学3年生を過ごすことになり、皆さん自身も時には窮屈で不満のたまる時もあったとは思いますが、その時々に出来ることを感謝して受け入れ、可能な範囲で許されることは目一杯やったのではないかな、と思います。

 

そして保護者の皆様、中学卒業という晴れの日を共に迎えることを嬉しく思うと共に、これまで学校に対しても暖かいお支えをいただきまして、本当にありがとうございました。今年度はなかなか難しくはありましたが、折に触れ、学校に足をお運びいただき、生徒たちが与えてくれる喜びや感動を共に分かち合えたことは何よりの幸せでした。

 

また学年主任の古永先生を始め、中3学年団の先生方、今日まで生徒たち一人一人に寄り添い、励まし、今日までその共に成長の歩みをなしていただき、本当にありがとうございました。

 

さて、卒業生の皆さん、中学卒業に際し、それぞれに深い思いがあるとは思いますし、これからの歩みにおいて期するところがあることでしょう。中学時代というのは大人になるための訓練の時だ、というのは先日の礼拝で長野先生も触れていた大村はまという伝説の国語教師の言葉で、私自身よく使わせてもらっている表現です。

さまざまな訓練や鍛錬によって人は鍛えられる必要があることは、私たちの学校ではスクールモットー “ Hands and hearts are trained to serve both man below God above. ” にも記されていることですが、ここには明確な鍛錬の目的が示されています。それは神様と人に仕えるため、ですね。

 

自分自身のよい人生のために自分を鍛えるのではなく、神様と人に仕えるために鍛えようと言うのです。そしてそれが良い人生を送るための秘訣であり、不可欠なことなのだ、ということが私たちのスクールモットーには示されています。

 

そのような学校で過ごした中学生活はどうだったでしょうか。先日、校長面接として皆さん一人一人とお話ししましたが、頑張った、楽しかった、という人が多い中、個人的な反省のある人や肯定的に自分の中学生活を捉えることが難しい人もいました。他の人と自分を比べると自分の足りなさばかりに目が向いてしまうのは、皆さんの年代では当然起こりやすいことですので、あまり心配はしていません。

 

皆さんが苦労したリサーチレポートも、一部の人が最初は憂鬱だったという駆け足も、その完成度や総走行距離は大切ですし、それぞれの成果に合わせた評価がされるものですが、そのことに取り組んだ、ということは皆同じです。そこに他者との比較はありませんし、それが、一人一人がこの啓明学院中学校で学んだという事実です。そういう意味で今日、卒業証書を受け取る皆さんは等しく同じ啓明学院中学校の卒業生です。どうぞそのことを喜びと誇りとして欲しいと願います。そして楽しかった経験も大変だったことも、何一つ無駄なものはなく、皆さん一人一人の学びと経験の糧だったのです。そのことは次に開かれている高校生活の中で、本当に生きた力として皆さん自身を支えてくれることでしょう。

 

皆さんの3年生の日々は新しいウイルス感染症に翻弄される一年でした。3月から5月まで、やむなく休校しましたし、なかなか思い通りに学校行事やクラブ活動をすることも出来ませんでした。誰も経験したことのない日常に、不安を覚えたこともあったかと思います。それは世の中の皆が感じていることでありましたが、時折人々の不安は攻撃的な自粛警察として姿を現したり、感染した人や医療関係者の方々を外側に置こうとしたりする行動となりました。品不足になった商品の買い占め、ということもありましたね。歴史的にもそうですが、困難は人間の醜い部分を際立たせたり、逆に本当に大切なことを教えてくれたりする機会ともなります。

 

そういった一年の中で皆さんにも大変大きな人気を得たのが『鬼滅の刃』でした。私は熱心な読者ではありませんが、この作品のストーリーの中からこぼれてくるメッセージにはしばしば胸を熱くするものがありました。特に感銘を受けたのは、怪我をして動けなくなった炭次郎をねらう鬼の猗窩座(あかざ)と、炭次郎を守ろうとする煉獄さんの決闘シーンです。有名なシーンなので知っている人も多いことでしょう。

 

猗窩座は煉獄さんに戦いの中で言います。「お前も鬼になれ。絶大な力を持てる。永遠の命が手に入るぞ」と。圧倒的な強さをひけらかして、そう誘惑する猗窩座に対して煉獄さんはこう言いました。

 

「老いることも、死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ」

「老いるからこそ 、死ぬからこそ 、堪らなく愛おしく 、尊いのだ」

「強さというものは 、肉体に対してのみ使う言葉ではない」

 

鬼という存在は、実は私たちが抱え持つ心の闇の一部分でもあるのでしょう。しかし煉獄さんのあくまでも生身の人間として生きる決意は、人間の価値がどこにあるかを示すものでした。

 

この言葉を残した煉獄さんですが、彼のお母さんはこう言って煉獄さんを育てました。「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」だからこそ煉獄さんは、最後にお母さんに心の内で問いかけます。「俺はちゃんとやれただろうか、やるべきこと果たすべきことを全うできましたか?」と。その時、お母さんは「立派に出来ましたよ」と優しく答えていましたね。

 

このシーンに号泣した人もいるかもしれませんが、こういったシーンが随所にちりばめられたこの作品が、去年流行したのは偶然ではなく、やはり必然だったのではないかな、と思います。作品の面白さ、幅広い人気と共に、人々の願う人間のあり方を、人々はこの作品に求めていたのではないかと思うからです。それほどまでにコロナによってむき出しにされた人間の業や弱さ、闇は、コロナと共に私たちの社会を傷つけるものだったからです。

 

今から2000年前に書かれた聖書もまた、弱さに意味を与え、弱さに寄り添うイエス様の姿を記すものです。

皆さんの三年間はその聖書の言葉とともにありました。煉獄さんのお母さんの言葉に重なる精神が聖書の示す生き方にあることは、皆さん十分に理解していることと思います。

 

次のステップでは、ますます聖書に示される隣人愛を実践する機会も増えてくることでしょう。たくましく成長していく中で、与えられたタラントンを活かすことが求められていくことも多いことでしょう。どうぞその機会を逃すことないよう気づきと他者へ、特に苦難や弱い側に立たされる人々の思いやりを持って、自らに与えられた力を神様と人へと奉仕することに用いる皆さんであって欲しいと願います。そして課題の多い時代に高校生活を過ごす皆さんに必要なことは、チャレンジ、チャレンジ、チャレンジ、です。チャレンジすることを恐れず、チャレンジし続けることです。その土台はしっかりと造られました。チャレンジの先になりたい自分が待っていることを信じましょう。失敗を恐れるのではなく、一歩踏み出さないことを恐れるべきです。

 

この後、皆さんに卒業証書を一人一人手渡します。それは皆さんがこの啓明学院中学校で学んだこと証しです。胸を張って誇りを持って受け取って欲しい。そしてそれとともに、この啓明学院が大切にしている人間のあり方を皆さん自身が体現する高校生活を送ってくれることを心より願っています。皆さん一人ひとりの前途に神様の祝福とお導きが豊かにありますようにお祈りして、校長の式辞と致します。

 

 

2021年3月13日

指宿 力