KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

聖書に聴き、学び、考える学校

2021年5月13日

歌手の家入レオさんが、自分自身の創作や生き方に影響を受けた本を紹介する記事の中で「聖書」をあげておられました。家入さんは「中学高校でも、毎朝の礼拝から1日が始まったし、試験対象科目にもなっていた。私自身は無宗教でありながら、授業や説教でキリスト教に触れ聖書を読むうちに、その果てしなさに魅せられた」*1そうですが、彼女は啓明学院と同じくプロテスタントのキリスト教主義学校に通い、毎日の礼拝、そして聖書の授業を受けて育つ中で聖書の深い魅力に触れ、多くの感化を受けたのでしょう。

 

 

啓明学院も毎日礼拝を行い、週に1回の聖書の学びがあります。そして食前はもちろんのこと何かある度に生徒たちも祈ります。試合前や練習後にお祈りするクラブもあります。それはこのコロナの状況下に置かれた今も変わることなく見られる姿です。

 

 

信仰の姿を客観的に見ようとする時に「すがる」という言葉を使う表現に出会います。それは教祖のような超越的な存在にすがって助けてもらうようなイメージで用いられるのでしょう。「すがる」ことは信仰の一つの姿ではあるかもしれませんが、キリスト教や聖書の教えは信じれば何かが与えられるという御利益ではなく、「生き方の道しるべ」であり、人生の規矩(きく)を与えてくれるものであると私は思います。

 

2000年前のイエス様に聖書を通して出会う時、そこに他者への深い愛と神の正義を実現しようとする強い思いに触れます。当時軽んじられていた女性や幼子、忌み嫌われていた罪人や病者と共におられた姿や、分断を是とし、本来の信仰から離れた教えを説く宗教指導者にあらがう様子など、弱さに中に捨て置かれる者の側に徹底的に立とうとされたイエス様の多くの出来事が聖書には記されています。そのようなイエス様の姿は、今の私たちにどう生きるべきか語りかけるものであり、私たちが「正しく」生きようとする時に勇気や励ましを与えてくれるものであります。何が正解なのか、分からないことが多い人生においても、道を示し、その先にこそ真の平和と幸福があることを教えてくれるのです。

 

そして聖書に登場する様々な人物の物語は、人間が弱さを抱えた利己的な存在であることを包み隠さず明らかにし、読む私たちに共感や知恵を授けてくれます。その一つ一つは、困難の中にも神様の真理が隠されており、だからこそ、どのような視野や視点を持つことが大切なのかを考えさせてくれるものです。

 

啓明学院で学ぶ生徒たちは日々の礼拝や聖書の授業を通してそのような聖書の世界に触れています。そこには長い時間をかけて育まれた民主主義的な思想の土台となる人間観があり、一人一人に生きる意味と尊い価値があることが明示されています。そのような価値観に若い日々に触れることで自分の存在を肯定的に捉える前向きな感性が涵養され、だからこそ啓明の生徒たちには他者のために与えられた自分の力を使おうとする奉仕の精神が育まれるのではないかと思います。

 

コロナ禍において様々な不安や思い通りにできないことが学校生活の中にもあります。そのような中でも生徒たちの祈りの言葉に耳を傾ける時、彼ら彼女らの祈りにある、思いやりに溢れる、強く、前向きな思いに触れ、私自身もたびたび励ましを与えられます。啓明学院が大切にする精神はこうして生徒たちの中に深く根付き続け、一人一人のこれからの歩みを支えるものとなることでしょう。価値観が大きく揺さぶられるこの激動の時代にこそ、変わらない真理の道を、これからも生徒たちと祈りを共にし、聖書に聴き、学び、考え続ける学校でありたいと願います。

 

*1  “アーティストを作った名著 Vol.2” , 音楽ナタリー ,(オンライン) , 入手先はこちら