2025年度啓明学院中学校 卒業生の皆さん、
私には、卒業生の皆さんとの間に一つ、どうしても忘れられない「心残り」の思い出があります。
修学旅行の「心残り」と卒業面接での確信
それは中学3年生の修学旅行での出来事です。私は結団式で「この旅行中に全員とお話しする」という目標を掲げ、協力をお願いしました。出発の新神戸駅では、多くの生徒が気さくに話しかけてくれ、最高のスタートを切ったはずでした。しかし、折悪くインフルエンザが流行し、旅行中、体調を崩す生徒が続出しました。
私は病院への同行や保護者への引き渡しを買って出て、「こここそ校長の出番だ」と張り切っていた矢先、あろうことか私自身が発熱してしまったのです。皆さんに迷惑をかけるわけにはいかず、結局、私は長崎の地から、一人寂しく帰路につきました。あのときの申し訳なさと悔しさは、今も胸の痛みです。
しかし、その「心残り」を埋めてくれたのが、先日の卒業面接でした。
一人ひとりと膝を突き合わせ、ゆっくりと言葉を交わした時間は、私にとってかけがえのない「校長の役得」となりました。面接で何より嬉しかったのは、多くの人が様々な先生方への感謝を口にしてくれたことです。「先生たちが自分に真摯に向き合ってくれたから、安心して学校に通えた」「私もあんな先生になりたい」その言葉を聞き、啓明の教育のバトンが皆さんの心にしっかりと受け継がれていることを確信しました。
また、魚をさばく卓越した知識を持つ人、私の目の前でルービックキューブをわずか30秒で解いてみせた人。皆さんが秘めている多彩な個性に触れ、驚かされるばかりでした。
「ゲーム」の語源が教える本来の意味
そんな面接の中で、資料の特技や趣味の欄に「ゲーム」と書いた強者が数名いました。校長面接の資料にわざわざ書くのですから、それぞれに自信があって書いているようでしたが、皆さんの中にゲーム大好き、という人は他にもかなりいるのではないかと思います。
ほとんどの人がゲームと言えばスマートフォンやNintendo Switchなどでのモバイルゲームのことを指しているようでした。ただゲームとはそうしたゲームアプリだけではありません。スポーツの試合もゲームと言いますし、ボードゲームやテーブルゲームもあるし、日常の些細なことも簡単にゲームにすることができます。
心当たりのある人は多いと思うけれども、例えば学校の帰り道で、白線を踏みながら歩くことをルールにして帰った人がいるのではないでしょうか。横断歩道の白いところだけを踏んで渡るとか。それもゲームですよね。
そうした些細なことをゲーム化してみることは、日常にちょっとした面白みを与えてくれるものですね。
最近の若者の間では、恵まれない境遇を「親ガチャ」、困難な状況を「無理ゲー」と呼ぶ風潮があります。これは人生をゲームに例えた表現ですが、こうして人生をゲームに例える視点は、一見すると不謹慎に思えるかもしれません。
遊びのゲームは実際に体に傷を負うこともなければ、失敗したらリセットすることも可能だからです。それでも私は、人生をゲームに見立てる中に未来を生き抜くための「知恵」と「真理」を見出すこともできるのでは、と最近考えるようになりました。
「ゲーム(Game)」という言葉の語源をひもとくと、古代ゲルマン語の「gaman」にたどり着くそうです。
これは「ga-(共に)」という言葉と「mann(人)」という言葉からなる単語で、ゲームとはもともと「人々が共に集うこと」そのものを意味していました。つまり本来のゲームとは、誰かを打ち負かすことでも、効率よくスコアを稼ぐことでもないのです。
人生は「壮大な協力型マルチプレイ・ゲーム」
ですので、あえて人生をゲームに例えることを、啓明流に定義するならば、人生とは「神様によって同じ時代に集められた仲間と共に、いかに豊かな時間を分かち合うかを追求する、壮大な協力型マルチプレイ・ゲーム」なのです。
隣にいる人をライバルとかではなく、共に冒険するパーティーの仲間だと捉えたとき、何気ない日常は価値ある「協力プレイ」へと変わるのではないでしょうか。
さらに、この人生というゲームを「賢く」プレイするために、今日は皆さんに二つの秘訣を贈ります。
秘訣その一:二つの「心のシステム」を使い分ける
1つ目は「心のシステム」を使い分けることです。心理学者ダニエル・カーネマンは、私たちには「二つの思考システム」が備わっていると、その著書『ファスト&スロー』で説いています。この本、とても興味深く、帯に東京大学で一番読まれた本、と書いてあるので、ぜひまた手にとって読んでみてください。
カーネマンの言っていることを、分かりやすく言えば、私たち人間には「速い直感のシステム」と「遅い思考のシステム」という2つのシステムがあるということです。
システム1は直感的で、一瞬で反応するモードで、速いシステムです。ゲームで言えばボタンをパッと押す「反射神経」です。「ににんが」と言われたら間髪おかず「四!」と反応することや、誰かに嫌なことを言われたとき、カッとなったり、SNSの刺激的な言葉にすぐ飛びついたりするのはこのシステムが発動されているときです。
システム2は論理的で、じっくりと考えるモードです。こちらは遅いシステムです。自分の感情を一歩引いて眺め、「なぜ自分は今こう感じているのか?」「神様なら、ここでどう振る舞うことを喜ばれるだろうか?」と深呼吸して検討する力です。
普段の生活の中ではシステム1で反応することがどれほど多いことかと、自分自身を振り返っても嫌になってきますが、聖書のヤコブの手紙の中には「聞くのに速く、話すのに遅く、また怒るのに遅くなるようにしなさい」という言葉があります。これはまさに、「速いシステム1」で感情的に反応して失敗する前に、「遅いシステム2」を起動させなさいという、非常に合理的で知的なアドバイスだと読むことができます。
つまり1つ目の秘訣は自分の中に2つのシステムがあることを知り、しっかり使い分けられるようにする、ということですね。
秘訣その二:どんな困難も希望へ変える「状況のクリエイト」
2つ目は「状況をクリエイトする」ことです。
参考になるのは映画『ライフ・イズ・ビューティフル』です。この映画は、ナチスの強制収容所という極限の絶望の中にいた父と息子の物語です。そんな希望のない状況の中で、父グイドは幼い息子ジョズエに対し、「これは1000点集めたら本物の戦車がもらえるゲームなんだ」と嘘をつき通します。銃声が響き、死の影がつきまとう灰色の現実を、彼はユーモアというフィルターを通すことで、命がけの「ワクワクする冒険」へと塗り替えてみせました。そして、父が創り出したその「状況」を信じ抜いたからこそ、ジョズエは心折れることなく、過酷な運命を生き抜くことができたのです。
人生に降りかかる困難を「避けるべき悲劇」ではなく、乗り越えるべき「ステージ」へと捉え方を変えるとき、私たちは受け身の被害者から、挑戦するプレイヤーへと視点を変えることができるというメッセージがここにあるように思います。それはきっと私たちはどんな絶望の淵にいても、自らの意思で「希望」を見出すことができるという励ましでもあるのです。
実際に強制収容所に送られた体験を書いた本、「夜と霧」の作者としても有名なヴィクトール・フランクルは、究極の不条理を生き抜き、この著書の中でこう述べました。
「人生から何を期待できるかではなく、むしろ、人生があなたから何を期待しているかが問題なのである」
フランクル流に言うならば、私たちは人生という舞台の主役であり、同時に、大いなる存在(神様)からの問いかけに応じ続ける「プレイヤー」です。訪れる苦難も幸運も、すべては「この瞬間に、あなたはどう応えるか」という神様からのメッセージにほかなりません。それに対する「誠実な応答」の積み重ねが、誰にも代わることのできない、あなただけの価値あるストーリーを編み上げていくのです。
つまり状況をクリエイトするということは、どんな状況下でも自らのあり方を主体的に選ぶ、しなやかな感性であり、それはきっと私たちを励まし、未来を照らす希望となる、ということです。
神様から預かった「ギフト」と本当の自己肯定感
そして私たち一人ひとりの初期設定には神様から「無条件の愛」と、一人ひとりに異なる「ギフト」が与えられています。聖書では、これを「タラントン」と呼びますね。ある人には人を励ます言葉が、ある人には物事を深く考える力が、ある人には誰かのために祈る心が与えられています。これらのギフトは、他人と優劣を競うための「ステータス」ではありません。それは先ほどお話しした語源「gaman(共に集うこと)」のために、つまり、「誰かを幸せにするために、あなたに預けられたアイテム」と言っていいでしょう。
自己肯定感という言葉がありますが、本当の自己肯定感とは、「他人より優れているから自分には価値がある」と思うことではありません。それは「私は、神様から特別な素晴らしいギフトを託された存在なのだ。そして、この私にしか返せない『応答』を、神様は待っておられるのだ。だから私にも価値があり、私の人生にも意味があるのだ」そう確信することです。あなたが自分自身をどう思おうと、神様はあなたを「極めて良い(創世記 1:31)」者として、この世界に送り出されたのですから。
新たな冒険のマップへ踏み出す皆さんへ
卒業生の皆さん。皆さんの冒険は、中学というステージを終え、新たなマップへと広がっていきます。他人が決めたスコアや、SNSの数字に振り回される必要はありません。道に迷ったら、自分に問いかけてください。
「私は今、システム1の反射だけで動いていないだろうか?」
「私は今、愛を持って応答しているだろうか?」
「私は預かったギフトを、誰かのために使っているだろうか?」
皆さんの背中には、神様の恵みという力強い追い風が吹いています。一人でクリアする必要はありません。これからどこにいようと啓明学院で学んだ皆さんには、こうしていつまでも「共に(ga-)」歩む仲間がいるのですから。
啓明学院中学校で学んだすべてを胸に、与えられたギフトを存分に輝かせて、喜びと希望を持って次に用意された大きな舞台を皆さんが駆け巡ることを切に願っています。
神様の豊かな祝福が、今日、啓明学院中学校を卒業する一人ひとりの上に、これからも絶えることなくありますようにお祈りしています。卒業、本当におめでとうございます。
2026年3月14日
校長 指宿 力

