KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

高校卒業式 式辞

2025年2月19日

2024年度 啓明学院高等学校 卒業生の皆さん、卒業おめでとう。

卒業生の皆さんの高校入学式で、ある企業のCMメッセージを朗読しました。それは「負けるもんか」と題した、自動車メーカーの矜持が現れる、大変心に響くものだったからです。それを高校に入学し、新たな3年間を始めようとする皆さんと共有したいと願い、紹介しました。

一筋縄ではいかないことに粘り強く取り組み、上手くいかなくてもへこたれずに何度でも挑戦する、そんな力を高校生活で会得してほしい。何かを得ようとすれば、求め続けよ、探し続けよ、門を叩き続けよ、という聖書の精神を通して、神様に愛される、あるべき啓明生の姿が見えてくるはずだ、そして、その学びの先にこそ、啓明でよかった、啓明でなければならなかった、と心からそう思える日があるはずだ、とお話しました。

 今、卒業の日を迎え、皆さんの歩んだ啓明での高校生活はどうだったでしょうか。校長面接で一人ひとりから聞かせてもらった充実感や喜び、感謝、啓明で良かった、という思いが、今日も皆さんの心のうちに満ち満ちていることを強く願うものです。そして啓明でなければならなかったという思いは、これからの人生で、確かなものとなっていくことを期待するものであります。

 

思い返すと、皆さんは中学2年生となるタイミングでコロナ禍の初年を迎え、何かと制約の多い日々が始まりました。2022年に高校に入学しても、まだ余波が残っていました。最も大きなことは海外への修学旅行が実施できなかったことでしょう。様々な状況が許さなかったこともありましたが、そのことについては本当に残念でしたし、申し訳ない思いでいっぱいです。ただ、国内実施となった沖縄への旅行は皆さんの学年ならではの貴重な経験であり、きっと生涯の想い出となっていくことでしょう。そのようなことも、多少のことではへこたれない前向きな啓明生ならではのチャレンジ精神で乗り越えていってほしいと願っています。

 

そして皆さんが高校生活を過ごしたこの3年間は、時代的にも大きな変化が起きる時でした。ウクライナやガザでの紛争など簡単に理解しがたい厳しい世界情勢がありました。その影響が私達の生活にも物価高、物不足という形で現れることを実感せざるを得ない日々が始まりました。アメリカの大統領選挙などではっきりとしたように、不安定な世情に人々の不満や不安がわかりやすい形で現れるようなことも起きています。学校では、教育もICTを抜きにしては考えられなくなっています。生成AIもますます発達し、授業で使うことを余儀なくされるなど、身近なものとなっていくことでしょう。

これら一つ一つも、これからの変化の始まりだとしたら、今後、どのような世界になっていくかなど、誰も見当がつくものではありません。そもそも卒業生の皆さんにとっては高校を卒業して、これから何をしてやろうかと期待や夢をいっぱい持っているでしょうが、往々にしてそれは上手くいくだろうかという心配と隣り合わせのものであると思います。あわせてこうした時代的なことも、皆さんの心を不安にさせるものになっているかもしれません。

 

先日観た映画の話をしようと思います。役所広司さんが主演されていた「パーフェクトデイズ」という作品です。

これはヴィム・ヴェンダースというドイツ人の監督が、東京を舞台に、役所さんが演じる公共トイレの清掃作業員の日々を描いた映画です。映画の半分ほどは清掃作業員の日常の細かい描写です。その平坦とも言える毎日の繰り返しに、時折、登場する人たちとの関わりが、いくつかの物語となって映画を色付けしていきます。生活感をあらわにした作風や、寡黙な主人公を演じる役所広司さんの演技力、今の東京を切り取った映像に、私は圧倒されながら、でも結局は最後までよくわからないまま、映画は終わってしまいました。映画の中には余白とも言える部分も、暗喩的な表現も多かったせいでもあります。

 

ただ自分でも驚いているのですが、よく分からなかったわりに、その映画の影響が自分自身の中に残っているのです。それは役所広司さんが非常に丁寧に自分の仕事、公共トイレの清掃に取り組んでいるところによるものです。一緒に働く、いい加減な作業員を柄本時生さんが演じているのですが、役所さんの仕事ぶりを馬鹿にして、「そこまでやる必要はない、もっといい加減にやっても誰も文句は言わないし、迷惑にもならない」と言うのです。しかし役所さん演じる平山という作業員は、それに答えもせず、見えない箇所まで鏡でチェックして、黙々と、トイレ一つ一つを完璧なまでに磨き上げていくのです。

 その姿が、私自身の生活の中におこる様々なことに影響を及ぼすのです。それは日常の仕事の中に、家事の中に、きちんと丁寧にやることを呼びかけてくるのです。まるで自分の中の「平山」が、私自身をコントロールするような感覚です。いつまでそんな思いを持ち続けられるかは分かりませんが、隙間のたくさんある映画の余白を、こうして自分自身が埋めていくことを求められる、そういう意味でも凄い映画だと思わされています。

 そして、パーフェクトデイズ、完璧な日々、というのは、何もかもが上手くいくことではなく、丁寧に毎日を送る中で生まれる、日常性を尊いものとして受け止め、大切にできるかどうかではないのだろうかと、今は感じることができるようになっています。

 

皆さんの高校生活もすべてが上手くいったわけもなく、怒られたことや失敗もあったことでしょう。恋心がうまく伝わらなかったり、仲違いもあったりしたかもしれません。そしてそういったことは、これからもきっと続いていくことです。それでもその日々をどう生きるかは、一人ひとりに委ねられていることです。そしてその日々を頑張り続けた結果、経済的な成功や、地位や名誉を得ることは素晴らしいことです。それは努力の成果であり、その対価としてそれらを受け取ることができるとしたら、きっと誇らしいことです。

 しかし、そうでなくてもきっと構わないのです。成功や失敗より、大切なことは、日々を丁寧に生きる中で享受できることを幸せと感じられるマインドを持つことなのではないかと思うのです。

 

皆さんの高校生活にあった礼拝の時間は、きっとほとんどがそのことを伝えようとする時間だったのではないでしょうか。自分を大切にすること、人を大切にすること、時間を大切にすること、家族を大切にすること、感謝の思いを忘れないでいること、与えられた力をしっかり活かして生きるということ、こういったこと一つ一つが他ならない自分の人生を大切に生きるということに繋がっていくのです。それらのことが皆さんの心の深いところにきっと根付いていて、それぞれの人生の中で、ゆっくりとかもしれませんが、いつか大きな実りをもたらすものとなることを、私達は期待しています。啓明でなければならなかったことへの深い気付きが、皆さん一人一人の心のうちに人生を豊かにする大きな財産となるのではないかと思っています。

 そして啓明で過ごした日々が、振り返った時に良い想い出になるとともに、皆さんのこれからの歩みを正しく導く、人生の羅針盤となることを信じています。その羅針盤の示す方向は常に神様の愛へと向かう真理の道です。その真理の道を見失うことなく、啓明卒業生として、雄々しく歩んでいかれることを願っています。

 

終わりに入学式でしたように、この卒業式も同じ企業のCMメッセージを紹介したいと思います。若干、卒業式用にアレンジしているのはご容赦ください。

 

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自分の限界を、自分で決めていないか。

過去の常識にしばられていないか。

本来、人間は自由な存在だ。自由であるはずの人間が、自ら自由を手放してどうする。

しょせん限界も常識も過去のもの。

自由な創造を邪魔する過去など、忘れてしまおう。

新しい知恵で困難に立ち向かえ。時代の先をゆけ。

今までの枠の中に、未来はないのだから。

そう、君たちは、なんにでもなれる。

君たちは、どこへでもゆける。

枠にはまるな。

 

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いかがでしょうか。啓明を卒業した者の最大の栄光は、一度も失敗しないことではなく、倒れるたびに起きるところにあるはずです。枠にはまるな。君たちなら大丈夫だ。

 

以上、卒業生一人一人にいつまでも神様のお守りと支えがあることを心より祈っていることをお伝えして、式辞を終えます。

 

God bless you all.  良き人生を。

 

 

2025年2月15日

指宿 力