
2024年度啓明学院中学校卒業生の皆さん、卒業おめでとう。
卒業生の皆さんには中学入学式のとき、私は3つのポイントを心に留めて中学生活を送ってほしいと言いました。
それは「一生懸命に取り組むこと」「仲間と一緒に作り上げることを大切にすること」「時には自分のしたいことを我慢して譲ること」の3つです。これらは前向きに学校生活に臨むための大事な心構えであり、啓明学院の生徒ならばこれらのことは日々実践してほしいものでありました。
そして今、卒業を迎え、その一つ一つが皆さんの心の深いところに根づいていることと思います。そして入学から3年の間に、個人的にも、家庭でも様々なことを経験したと思います。社会も様々な変化がありましたが、それらを通して成長した皆さん一人一人の今があります。
それでは一体、その成長はどのように測ることができるでしょうか。成長を測る一つの指標として身長で測る、ということがあるでしょう。先日の校長面接でも「すっかり大きくなったね」と話した人もいます。この3年間で25センチほど伸びたという人もいてびっくりです。
また英検などの検定で自分の学びの成長が可視化できるという人もいますね。「1年生の時は何級だったけど、今は何級だ」というように自分の努力の成果を見える化することで、学力的な成長を示すこともできます。
それ以外にも、随分知識が増えた、沢山の本を読んだ、友達の数が増えた、というようなことを成長の証とする人もいるかと思います。
京セラという会社の創業者、稲盛和夫さんが言われた「見た目は一番外側の中身」という言葉がありますが、外に現れる顔つきや着こなしなども、皆さんの成長を証しするものに違いありません。ただ私達の中身の成長というものは、実は数字で表せたり、何かの指標があったりするわけでもなく、ましてや頭の上に数字が出たりするものではありませんが、その成長は確かに外側に現れるものです。
それは、あなたが何を語るのか、何を記すのか、そして何をして、何をしないのか、など、まさしく行い、と言われるものにも成長は現れるはずです。だからこそ、皆さん一人ひとりに備えられた次のステップで、啓明で成長した者として、一生懸命に取り組み、仲間とともに力を合わせ、自己中心的ではない、日々を送ってくれたらと願っています。皆さんがそのような行いができたら、神様の願う、よりよい世界を、たとえ小さくとも実現できるのではないかと思うのです。期待していますね。
さて、皆さんは絵本作家のヨシタケシンスケさんを知っていますか。
ヨシタケさんは、ちょっと哲学的な、心の深いところまで届く言葉で私達を楽しませたり、慰めたりしてくれる、意味があったりなかったりする絵本を出版されています。そのうちの何冊かは我が家にも啓明の図書館にも置いてあります。
先日、図書館に行った際、ヨシタケさんの「メメンとモリ」という1冊を手にしました。
これはメメンという女の子とモリという僕、おそらく兄妹設定の二人の会話からなる作品です。その中に「二人で観た映画があまりにつまらなくって時間を損した」という会話から始まる回があります。ワクワクしながら期待して二人で見た映画が、あまりにつまらなかったようです。
僕モリはこんな映画を観て時間を損した、と思います。そしてこんなことに時間をつかってしまったことから不安になります。これからもみんなが楽しい思いをしているときに自分だけつまらない映画を見るように、自分だけつまらない人生を送ってしまうのではないかと考えて、「自分は損しているように思う」と言います。
そこから「生きる」ということについて、このお話の哲学的な深みが始まります。
メメンは、悲観的なモリに対し、「別に人は楽しむために生きているのではないよ、損とか得とか生きていることには関係ないし、別に幸せでなくちゃだめなわけでもないよ」と言うのです。そして「生きる」ということは常に自分のイメージと現実がズレてしまうことの連続で、むしろ自分が思っていたことと違うことに出会うとびっくりする、そのびっくりを経験するために生きているのであって、むしろ、思っていたのと違うから世界はつらいし、きびしいし、たのしいし、うつくしいのだ、と続けます。
そしてメメンはこう言います。
「たのしいことも、かなしいことも、わたしのいのちも、いつか終わる。」
「でも楽しいことや美しいことが、また生まれるように、わたしもまたどこかに生まれるかもしれない。」
「いつかまた私の代わりに誰かがいいことも悪いこともしてくれる。だからわたしも今、いつかのだれかの代わりに、いいことも悪いこともしてあげるの。」
このメメンのメッセージ、いかがでしょうか。さらにメメンはこう続けます。
「そんなふうに考えたら、なんだか面白いよね。」
これを聞いたモリは、あれこれ思案したあげく、とびきりのアイデアを思いついたかのように、もう一度あのつまらなかった映画を見よう、見方を変えれば今度は面白いかもしれない、とメメンに提案しますが、それはあえなく却下され、ストーリーは終わります。そりゃつまらなすぎる映画をもう一度観たくはないですよね。
この本のタイトル、メメンとモリはラテン語のメメントモリをもじったものです。メメントモリとはゲームのタイトルにあるようですが、この意味は、死を忘れるな、というもので、修道士たちの挨拶にもなる言葉です。
メメンとモリはそのダジャレではありますが、生きることの意味をヨシタケシンスケさん流に解き明かした面白い本です。メメンの言う、人は「思ってたのと違う」ってびっくりするために生きている、ということについて簡単に理解することは難しいかもしれません。しかし、皆さん自身も同じ時間を共有した仲間たちとの中学校生活も一人として同じものではなく、一人ひとりが挑戦したこと、しなかったことで彩られていることでしょう。
その個々違いのある充実感や後悔を抱えつつも、わたしも今、いつかのだれかの代わりに、いいことも悪いこともしてあげるというのは、非常に力の抜けた、それでいて前向きな生き方ではないでしょうか。そして混沌として、曖昧で、不揃いで、一筋縄ではいかないのがこの世の中で、だからこそこの世は面白いと思えることも成長の一つの姿ではないかと思います。
啓明の教育は、皆さん一人ひとりを画一的な枠の中に入れようとするものではありません。一人ひとりが違った個性を持っていて、互いにそのことを尊重しつつ、同じ経験をするとしても結果的に異なった輝きをはなっていくのが啓明生の魅力です。日々の礼拝や様々な機会で皆さんは、それではあなたはいかに生きるのですか?と問われ続けました。特に礼拝とはお話を聞くだけでなく、神様に心を向けながら、では私は、と考える時間でした。
時には自分と違った仲間たちにびっくりするような刺激を受けながら、自分とは何者かと自分自身を見つめることを経験したこの中学校生活は、きっと限りある人生を生きる堅牢な土台となることでしょう。
たくさんの想い出の詰まった中学生活がこうして終わりを告げるように、これからチャレンジしていく世界も、人生も限りあるものです。
それでも皆さんの前向きな人生の歩みは皆さんだけのものでなく、今ともに歩む人を照らす光となり、愛を注いでくださっているご家族の喜びとなり、さらには次の世代の人々の幸福につながるものとなると私は信じます。
だからこそ、皆さんの中学校生活で得たものは一人ひとり異なりますが、その異なったものたちが放つ輝きが、未来を開く大きな力となることを、そしてそれを皆さん自身の次のステップで見られることを私は楽しみにしています。
どうぞ、これからも新しい知識を貪欲に吸収し、実際に見て、敏感に感じる人であってほしい。
そして苦難や弱い側に立たされる人々への思いやりを持って、自らに与えられた力を神様と人へと奉仕することに用い、何より神様の平和を実現するために行動する皆さんであってほしい。そして課題の多い時代に高校生活を過ごす皆さんが失敗を恐れず、チャレンジし続ける存在であってほしい。
その土台はしっかりと造られました。チャレンジの先に、神様が皆さんに期待している生き方を実現する自分が待っていることを信じましょう。私もその姿を見ることができる日を楽しみにしています。この後、皆さんに卒業証書を一人一人手渡します。それは皆さんがこの啓明学院中学校で学んだこと証です。胸を張って誇りを持って受け取ってほしい。そしてそれとともにこの啓明学院が大切にしている人間のあり方を皆さん自身が体現する高校生活を送ってくれることを心より願っています。
皆さん一人ひとりの前途に神様の祝福とお導きが豊かにあるよう祈りを込め、これを式辞と致します。
2025年3月14日
指宿 力