当時の陸軍の戦陣訓には「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」とあり、これが軍人だけでなく民間人の自決につながったとされています。
戦陣訓に真っ向から反対する島田の取り組みは、沖縄県民の心に深く刻まれ、今日にいたるまで語り継がれています。

12月16日(水) 高校2年生の授業「世界史」の様子です。
今日のテーマは、太平洋戦争末期の沖縄戦です。
当時の沖縄県知事、島田 叡(しまだ あきら)の働きをふりかえりました。
島田は兵庫県出身(県立兵庫高校卒)でした。島田知事は、米軍の攻撃下にあった沖縄県民に「生き延びよ」と説き、食糧確保や情報の共有に奔走ます。
当時の陸軍の戦陣訓には「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」とあり、これが軍人だけでなく民間人の自決につながったとされています。
戦陣訓に真っ向から反対する島田の取り組みは、沖縄県民の心に深く刻まれ、今日にいたるまで語り継がれています。
島田 叡知事を偲ぶ記念碑
困難な状況に立ち向かったリーダーのありようについて、自分の考えをまとめました。