KEIMEI GAKUIN TOPICS BLOG

校長コラム

自分の2学期を始めよう、という主体的な思いこそが自分を創る

2021年9月2日

皆さん、おはようございます。

2学期の始業日となりました。今のところ、夏休み中、生徒が事故や事件に巻き込まれたというような報告は聞いていないので、皆さん、安全に、元気にこの夏を過ごしたことと思います。ただ、ここしばらく全国的に新型コロナウイルスの陽性判明者が高い数字で継続して出ており、新学期を心配しながら迎えている人もいることでしょう。今日、学校に入ったときから、今まで以上に、先生達も慎重に備えていることが分かったのではないかと思いますが、何より、皆さん自身が互いに気をつけ合って、感染症対策を徹底していかねばなりません。この程度くらい、と高をくくることなく、丁寧に実践していきましょう。

 

当然、もし自分が感染したら、ということも常に考えておきましょう。若い人は、ほとんどが重症化していないし、自宅でお薬を飲んで、栄養をしっかり取って、安静にして、徐々に回復した、という人が多いとのことです。ただ、まれに若い人でも、思いがけない症状も出ていることもあるとのことです。かからなければ、それにこしたことはありません。

 

始業式前にも話したとおり、皆さんには十分すぎるほど強調していますが、マスクをきちんとつける、うがいや手洗いを小まめにする、ソーシャルディスタンスを意識して行動する、部屋の換気をきちんとする、そういった基本的なことをしっかりしていれば、完璧とは言えないかもしれないですが、随分、効果があります。他の例を見ても、感染が拡大する時には、多くの場合、理由があります。マスクが出来ない食事の時に気が緩んでしまった、とか、そもそも基本的なことをおろそかにしてしまった、ということが多いようです。

 

また、皆さんの年代で多いのが、真面目にちゃんとすることが格好悪いと思ったり、そもそもコロナなんて大したことがない、とあなどったりすることです。自分や自分の家族は皆、ワクチンを打っているから大丈夫、と思う人もいるかもしれませんが、一緒に学校生活を過ごす周りの人たちの家庭環境がどうなっているかなど、分かるものではありません。だから、配慮や思いやりの気持ちとして、基本的な感染症対策を馬鹿にせず、きちんとすること。出来ていない人には、仲間として声をかけてあげることを心がけていきましょう。

 

そしてもう一つ、特に今は、通学路でバスや電車に同乗している周りの人たちは、皆さん自身の行動がとても気になっています。たとえ皆さんがマスクをしていても、近くでおしゃべりをすることでさえ、無神経で愚鈍な態度に思われています。そういったことがもとで、交通機関の中でのトラブルに巻き込まれることもあるかもしれないと心配しています。学校内ではもちろんのこと、通学途中も、この感染状況の厳しい中で、十分に気をつけて過ごしましょう。そして学外に出ても、啓明生の理想を実践する皆さんであってほしいと願います。

 

今日、学校に入る前、正門、東門のそれぞれに、2023年に迎える百周年の告知を観た人も多いことでしょう。1923年の創立から、いよいよ100年を迎える記念の年が近づいています。すでにロゴマークを作るなど、準備が始まっていますが、皆で心を合わせて、その年を楽しみに待ちたいと願います。学校では様々な準備を始めていますが、学校ホームページやSNSを利用して、動画配信に力を入れていこうと計画しています。皆さんの中で、動画作成を得意としている人、興味を持っている人もたくさんいることでしょう。この百周年に向けた動画作成に関心のある人は、直接、校長室の私のところまで訪ねてきてください。皆さんの力を発揮してもらい、より百周年を身近に、楽しみに待つ、雰囲気を作っていきたいと願っています。待っていますね。

 

さて、この夏休みもいろいろな体験や経験をした人も多いことでしょう。夏休み前半は、サマープロジェクトが行われ、参加した人たちにとっては、本当に貴重な体験だったことでしょう。海外の同年代の人たちとオンラインでつながって、与えられたプロジェクトを解決するミッションに立ち向かったり、学外に出て、啓明や神戸の歴史的文化に触れたり、釣った魚をさばいたり、と、そのほかにも、いろいろなプログラムがありましたが、楽しく有意義な経験となったことでしょう。今年初めて行った、コロナ禍における学校発信のプログラムでしたが、今後も続けることが出来れば、企画を増やし、みなさんのチャレンジの機会としていきたいと考えています。もちろん、部活動や個人の挑戦を頑張ったという人も多いことでしょう。その成果を発揮できる2学期であることを願っています。

 

また、今年の夏は長雨に悩まされました。何度も雨による順延を繰り返していた高校野球では、神戸国際大付属高校の応援に、吹奏楽部のメンバーが参加してくれました。これは、近隣の、同じキリスト教主義学校として依頼されての球場応援でした。大会途中で規定が変更されたため、一度きりの応援でしたが、テレビを通して聴く甲子園球場での演奏は心に残るものでした。学校を代表しての応援活動、感謝しています。

 

また、この夏は1年延期されたオリンピックが行われました。前回が1964年ですから、57年ぶり、夏のオリンピックとしては2回目の、日本での開催でした。自国開催は、なかなか経験できることではないので、楽しみにしていた人も多いことと思います。始まる前から、コロナ禍での開催を問題視する意見も多く、いろいろ考えさせられたオリンピックでしたが、それでも始まると、観ている私たちを引きつける競技ばかりで、オリンピックならではの時間を過ごさせてもらいました。

 

メダルラッシュに沸く日本でしたが、銀メダルを取っても、申し訳ないと謝っている選手がいたり、12人中12位でも、出場したことの快挙を称えられる選手がいたり、本当に様々なドラマを感じさせてくれました。個人的に注目していたのは、兵庫県出身の陸上競技の田中希実選手でしたが、いつもどおり、表情を崩さず、ハイペースで走り続け、1500メートルで、日本人で初めて8位に入賞し、日本記録を打ち立てたのは、本当に立派でした。

 

どの種目であっても、選手達の演技や競技でのパフォーマンスは、観ていて力が入るものだったのですが、試合中に監督が選手達に向けて、どんなことを話しているか、ということも興味深く観ていました。その中でも、厳しい言葉がけで話題ともなった、女子バスケットボールチームのトム・ホーバス監督が、多少の間違いがあっても、自分の言葉で伝えることを大切にされ、日本語で、大きな声で指示を出されていた姿が印象的でした。自分の言葉で伝える、ということの中に、言葉の力が宿り、信頼や本物性が高まるのだ、と言われているように感じました。

 

その一方で、開催直前、開会式の音楽を担当していた人物の、いじめをした経験を面白おかしくしゃべった雑誌記事が明るみに出たり、過去にディレクターがユダヤ人虐殺をコントにしていたことが、アメリカのユダヤ人人権団体から抗議を受けたりしたことで、どちらも辞任を余儀なくされたことが話題になったオリンピックでもありました。

 

どちらも当時の日本の人権意識の低さを露呈するものだったと思いますが、特にいじめをした経験を得々と語り、笑いにしようとしていた感覚には、恐ろしさを覚えました。かつては、人を馬鹿にしたり、貶めたりすることで、笑いを取るようなことがしばしば行われており、当時から笑えないお笑いがたくさんありました。もちろん、今でも、表敬訪問してくれた選手の金メダルをかじって、ウケようとする市長さんもいるので、笑えないことはありますが、最近は、企業コンプライアンスの強化とともに、随分変わってきたように思います。それでも、時折、頭をもたげ、我々の前に現れてくる、社会的に弱い立場に置かれた人を笑いものにするような感覚は、けっして許されることのないものとして、断じて共有しないで欲しいものです。

 

かつてのいじめが、実に長い年月をかけて自分の身に返っていることを、ご本人がどう思っているかは分かりませんし、ご家族も辛い思いをされていることは推察されます。もちろん、近親者へのバッシングは許されないことですし、ご本人に対し、今の我々があれこれ評価することは、もう意味のないことでしょう。しかし、オリンピック開会式の音楽担当者という、名誉ある役職を辞めざるを得ないような事態を、自分自身がかつて話したことが引き起こすのだ、という事実は、私たち一人一人も、しっかり心に刻まねばならないと思います。いじめや差別がどれほど他者を傷つけるものであるか、そして、それはどれほど許されがたい行為であるかを改めて覚えなければならないと思います。自分の語る言葉、表に出す感情、仕草や行為の責任は、私たち一人一人が負わなくてはならないのです。

 

しかし、そういったことをいつか自分が裁かれるから、という理由ではなく、啓明に連なる私たちは、どういう生き方が、どういう言葉を使ってどういう行いをすることが、神様の目に適う生き方なのか、というところを意識して行動する者であって欲しいと願います。そして、目の前の一人、隣にいる一人の思いが、その背後に数え切れないほど多くの人の愛や願いの上にあることを、思いやれる啓明生であって欲しいとも願っています。

 

今、パラリンピックが終盤に差し掛かっていますが、いろいろなグループ分けをして、その特性に応じたエントリーがなされています。パラリンピックは、オリンピック以上に、選手達の背景に思いを馳せることが多いですし、種目や体の特性に合わせた器具や義肢義足の機能的なことなどに、興味をそそられることがあります。その上で、様々な身体上の困難などはあるとは思いますが、一人の人間として競技に向かっている姿や、アスリートとしての生き方は、オリンピックとともに、我々に生きる意味や挑戦の価値を教えてくれるものでしょう。あと数日となりましたが、許される範囲でテレビ観戦に励みたいと思います。

 

そのような中、今朝も大きく取り上げられていましたが、昨日、アメリカ軍がアフガニスタンからの撤退を完了したという報道がありました。ここ数日のニュースを観ても、アフガニスタンではコロナはどうなっているのか、空港にいる人たちはどのように毎日生活しているのか、市内の人たちの生活はどうなっているのか、気になることばかりです。また、夏休み前にお話ししたドローンによる無人攻撃が、アメリカによって行われ、一般市民が亡くなったとか、空港で自爆テロが起こって100人近くが巻き込まれたとか、酷い話がいっぱいです。そこにいる一人一人の命が、今の日本にいる私たちの命とどう違うというのでしょう。

 

自分の命、家族の命を繋ぐために懸命になっている人たちがいることは、私たちが生きている今、この瞬間の現実です。平和と平安が訪れることを心より願うものでありますが、その平和も、平安も、そこにいる人たちにとっては、私が願うものとまったく異なるものかもしれません。それでも、今はただ、国家として良い形が作られ、人の命を大切にし、男の人も女の人も、自分らしく生きていけるよう願うばかりです。日本に住む私たちに出来ることは、関心を絶やさず、願っていることを神様に祈ることくらいかもしれません。しかし、それくらいは継続したいものです。そして、我々も生きる意味や人生の価値を深く考える機会としたいものであります。

 

そのような国際情勢もある中、いよいよ今日は9月1日、2学期のスタートです。長かった夏休みへの郷愁はあるかもしれませんが、今日からの新しい風を心に吹き込みましょう。そして、皆さんには、2学期が始まる、というのではなく、2学期を始めよう、という積極的な気持ちで、今日からの学期に臨んで欲しいと願っています。

皆さん自身の、自分の2学期を始めよう、という主体的な思いこそが、他の誰でもない自分を創る大きな一歩となることでしょう。その時が来たから、仕方なく2学期が始まったのではなく、皆さんの輝く中学・高校生活の舞台が用意された2学期を、さあ始めよう、そのような思いで2学期をスタートさせましょう。皆さん一人一人の、チャレンジングで、充実した啓明ライフを共に過ごせることを本当に楽しみにしています。2学期も共に頑張りましょう!

 

(2学期始業式のメッセージ)

 

指宿 力